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| Vol.8 日本と中国の架け橋 平敷 真さん |
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上海で「日本と中国が卓球を通して友好交流を行う」事を目的に活動をしている琉華商務諮詢(上海)有限公司の平敷真さん。チャイナエクスプレスと提携し、お子様からシニアの方まで既に約400名以上の方にご利用して頂いております。
参加者の中には、初心者から世界選手権に参加した選手までさまざまな方にご利用いただいております。
(参加される方のレベルがそれぞれ違うので、事前にレベルチェックをし上海での練習場所を決めております。 )
上海では私たちが皆様のお手伝いを致します!
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| Q 中国とのかかわりのきっかけは? |
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| 早稲田大学在学中に中国語の勉強を始めました。当時、一般的には英語を習得して一流企業にとなるところですが・・・。それは卓球と深い関わりがありがあるのです。私が卓球に興味を持ったのは、1950年代の後半、中学生の時でした。当時は荻村、田中の全盛時代で世界でも圧倒的強さを誇り、マスコミで「卓球日本」と持てはやされ、町のあちこちに卓球場があり、いつも愛好者で一杯でした。ですから私たちは卓球をすることに誇りを持っていました。そんな時「卓球日本」を打ち砕く衝撃的な事が起こりました。
1961年4月NHKラジオから「北京発共同電=第26回世界卓球選手権男子団体戦で荻村、木村、星野の日本チームは中国に破れ、世界選手権6連覇成らず。」というニュースが流れたのです。
まさか!?耳を疑いました。負けた!?中国に!?どうして!?
日中戦争、国民党との内戦に勝利し、1949年に新中国の建国を果たしたものの1956年の大飢饉、また1958年にソ連との友好関係に亀裂が生じ社会・経済の建設は行き詰まり状態であった中国。とてもスポーツなどに力を入れるゆとりは無いと思っていました。そんな国に何故負けたのだろう!?中国ってどういう国なのだろうと思いました。
新聞は敗因を「中国の前陣速攻打法に敗れた」と報じていましたが、日本にも前陣打法の選手はいましたので、私は新聞が報じる敗因について鵜呑みにはできませんでした。
日本チームを破った荘則棟、徐寅生、李富栄、張燮林の名前と同時に「中国」の二文字が私の心と脳裏にはっきりと刻み込まれました。このときから「中国卓球の解明」と「中国を知ること」が私のテーマになりました。 |
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| Q そのような出来事があり、中国で仕事をしようとお考えになったのですね? |
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はい。せっかく学んだ中国語を役立て、中国に携わる仕事をしたいと考えました。しかし、私が卒業した1970年当時、日本にとっての中国は蒋介石の台湾政府であり、大陸の中華人民共和国に対しては敵視政策を取っていましたので、日中間に国交ははく、中国語を勉強しているというだけで警察にマークされ、私も危険分子としてブラックリストにのっていたようですし、中国に渡航することは一部の特定の友好商社や業界を除いては不可能な時代でした。
一般企業は中国への関心は非常に薄く、就職を断念しかけた折、大先輩であるK氏に日中貿易の専門商社を紹介していただき、チャンスを得ることができました。 |
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| Q 中国に駐在された始めの頃は卓球とまったく関わりがなかったと伺いました。 |
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その通りです。訪中以来現在まで30数年間、中国との貿易に関わってきましたが、最初の10年ほどは仕事仕事で多忙な日々を送っていましたので「中国卓球の解明」の機会はまったくありませんでした。
しかし、1985年5月のことです。当時、私は北京に駐在していました。
「荻村です。昨日北京に来ました。明日壮則棟さんと面談するので通訳として同席してくださいませんか。
明日3時に御社で落合いご一緒してください。」
あまりにも突然の電話でした。"壮則棟と会う"まさに青天の霹靂です。
荻村さんは卓球人として神様のような憧れの人でしたが、ご自分でも貿易会社を経営され、中国貿易の関係では何度もお会いしていましたので、
荻村さんとお会いするだけなら別段緊張することもありませんでしたが、こと壮則棟さんとなると
一度もお会いしたこともありませんし、私にとって神様以上の存在で、全身が熱くなり、頭の中は真っ白になってしまったのです。
受話器を置いた後私は放心状態、夜も興奮して殆ど眠れないまま翌日の会談に臨みました。自信に満ちた笑顔で
「荻村さんお久しぶりです。北京に戻ってきました。」と壮則棟さん。「お元気そうで何よりでした。
北京に戻られてよかったですね。」と荻村さん。
10数年ぶりの再開に二人は暫く固い握手。
我が憧れの卓球人二人が固い握手を交わしながら、僅かに目を潤ませ旧交を温めている目を目の当たりにして、私は興奮と感動で胸がいっぱいになりました。
この通訳の経験を通し、卓球会のみならず世界のスポーツ界の頂点を極められ、その名を残した偉人二人の再会、会談に同席することが出来、少しでも日中間の橋渡しになればと考えるようになりました。
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| Q 会社を早期退職され、自分の好きな道を生きると決心された理由は? |
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| 現在の会社の主な活動はJNT合宿、 |
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| Q 中国での合宿の仕事を始めてみて、日本の卓球について感じたことは |
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まず、中国では基本の教え方が日本と異なっていると感じました。
例えば、荻村さんと壮則棟との会談で最も印象的だったのが壮則棟さんが『卓球は指の使い方と動かし方が大変重要です。特にボールのコントロールや打法は指の使い方が大切です』
と繰り返し強調していたことです。私達は卓球の打法において大切なのは腰のひねりや肩の使い方で、体全体でボールを打つと教わってきましたので、
壮則棟さんの指摘する指、手首の重要性については全く理解できませんでした。
その後、徐寅生さん、張林さん、季富栄さん等々往年の名選手にもお会いする機会に恵まれ『指』使い方の重要性が分かりましたし、1961年に日本チームを破った戦術も『指』が重要な働きをしたと理解することが出来ました。 |
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| Q 文化や言葉、習慣の違いで留学中のトラブルの多いことは? |
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| Q 今後の目標・抱負は? |
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今後も日中間の卓球・語学・文化交流の為に貢献したいと願い、東京-上海を往ったり来たりします。
上海で皆さんとお会いできることを楽しみにしています。 |
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上海交通大学の教授の方々と石塚さん |
参加者で記念撮影 |
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どうもありがとうございました。
今後も益々のご活躍期待しています。 |
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