We Love Ping Pong 卓球ツアー旅行の専門店 卓球合宿 留学 世界ベテラン卓球選手権 卓球ツアー  旅行記 http:/// WLPP 卓球ツアー旅行の専門店「WLPP-We Love Ping Pong-」 卓球のプロフェッショナルが航空券・ホテル・ツアーなど皆様のご要望にお答えします。 旅行記 ja アメリカ、サンタローザ在住 フミ・クリステンセンさんより『第17回世界ベテランオークランド大会体験記』が届きました! http:///travelbook/item/598.html 今回で17回目のベテランズ大会はニュージーランドで行われた。 隔年で開かれるので第1回目に最年少の40歳で参加した人は今年74歳ということになる。 私が住むアメリカでは卓球人口が少ないため、大会と呼ばれるものは年に数回しかなく、しかも年齢分けがないので腕に自信のない私はたいてい小中学生に軽く負かされ、「年には勝てない」などと弱音を吐いてしまうのが常だ。 そこへいくとちゃんと年齢別で試合が行われ、リーグ戦の後は負けても敗者復活戦に参加できるこのベテランズ大会は世界のあちこちで開催されるので旅行もできる楽しみもあるため気がついたら今回も参加してしまっていた。 対戦前後には嵩も張らず、お金もかからない小さな記念の贈り物を交換し合い、対戦相手全員での記念写真もとるのでわりと時間がかかってしまうが、誰も文句は言わない。 かといって気軽に構えていると「シャツの色は違反」と言われ、あわてて試合直前に買いに走ったこともあるし、ラバーの減りすぎが違反と言われ、誰かにラケットを借りていなければ不戦敗となる危機に陥ったこともあった。 言葉を交わしたことがなくても多くの日本人選手のなじみの顔との再会、ホテルでの出来事、試合後の小旅行、そのどれをとっても心躍るものであった。   <空港での悪夢> だがそれらの感動の前にこの大会での私にはつらい試練が待っていた。 着いた早々、あと10mほどで空港の出口のところで検査官に止められたのだ。 今まで何度か日本やアメリカの空港で検査官に止められ、別室に連れて行かれ、バッグの中身をすべて見せなければならないことは経験しているのでまたか、と思った。怪しげな薬物などの密上陸を防ぐためには仕方あるまい。 その検査官は私のバッグから腐りかけた1本のバナナを見つけ出し、これは申告していないね、と言った。それもよくある。 そういえば何年か前に日本で狂牛病が騒がれた時期に日本で購入したビーフのレトロカレーを3つほどバッグに入れていたのをサンフランシスコ空港ですばやく見つけられ、没収されたことがあった。 このバナナは、家を出るときに、おなかがすいたときのために3本持ってきたうちの1本だ。飛行機に乗る前に2本食べ、後1本残っていたのを忘れてはいなかったが、飛行機の中で渡された申告書に植物は持っていないということころに印をし、バナナはそのままにした。日本でもアメリカでも空港を出るときにハンドバッグの中のミカンやりんごは必ず、といっていいほどチェックされないので今回も大丈夫だろう。 すると別の検査官がこっちに来いという。バナナ1本没収されたあと、ほかに私に何の用があるというのだ? そこでこれを読め、と1枚の紙を渡された。 そこには信じられないことが書かれていた。 400ドルの罰金を支払えと言うのだ。 すぐにクレジットカードなどで払うか、それができなかったら14日以内に支払うことと、ほかにも方法があったと思うが、払わないで済む方法はなかった。 それでも私は何とか払わないですむ方法がないか、とその検査官に「知らなかった」、と泣き顔で同情を誘ったが効き目がなかったので、次は「こんなひどい決まりは聞いたことがない、」とか「絶対にこんな国に来ないからね」と脅し作戦を実行したが、これもうまくいかず、代わりに「1日1万人ほどここに来てあなたと同じようなケースが10人くらいあるよ」と聞いてもいないのに慰めとも戒めとも決めかねる言葉が返ってきた。 安いホテルと安いバス代に生きがいさえ感じていた私にとって400ドルのバナナは悪夢以外の何物でもなかった。 人生うまくいかない時があるかないか、ではなく、その時にそれとどう向き合うかが大事なことだ、とものの本に書いてあったような気がするが、それからしばらくは、何もバナナが悪いわけではないのにバナナと向き合うたびにむかついてしまい、バナナとの関係改善にえらく暇がかかってしまった。 後で調べたらニュージーランドは原生動植物保護のために港や郵便局と並んで空港での検疫に大きく政府の予算を組み、外来種の入国を防ぐため、チェックが最も厳しい国、と書かれてあった。   <オークランドの町> 首都ではないが最大の都市オークランドに試合会場はあった。何でも人口400万人の4分の1の人たちがここに住んでいるらしい。 ここでは他の果物に混じってたいそう美味の冬柿と日本のものと同じミカンが売られていた。 5月は日本では春だがここは秋なのだ。 ひとつ驚いたのは、寿司がいたるところで売られていたことであった。 日本レストランの数は10件くらいで平均的という感じだったが、ファーストフード風寿司屋は雨後の筍のようにそこらじゅうにあり、それも太巻き寿司が主流ですでに切って中の具がよく見える状態で、ひとつ100円前後で店頭に並んでいた。タバコを箱単位ではなく本数で買うのに似た感じがしたが、いろんな種類の具がそろえられているので買いやすい。 最近の人気はチキンだと日本人の店員さんは言っていた。 何でも地元の人に健康食として人気が高いらしく、ランチ時にはどこの寿司屋もにぎわっていた。 100人以上収容できそうな数のテーブルを取り囲みようにアジア系のファーストフードが20件ほど並ぶ「フードマート」でも寿司は人気があり、そこでは中華料理屋と韓国料理の店先でも寿司が売られていた。 滞在中、キッチン付のホテルではせっかくだからとニュージーランド産の羊肉は一度だけルームメートと一緒に料理(私は後片付け役)した以外はほとんど太巻き寿司を食べたような気がする。朝食には豊富な果物とおいしいペイストリーやサンドイッチと、低コストで大変充実した食事内容であった。           <うれしい番狂わせ> いつも通り4人でのリーグ戦だ。 上位2人がチャンピオン戦に臨み、下位2人が敗者復活戦に臨む。 私はたいてい負けのほうが多いので敗者復活戦に行くが、今回は前回に続いて2勝1敗でチャンピオン戦に臨むことになった。 前回は私のラバーがあまりにも擦り切れていたためチャンピオン戦では使用できなくなり、やむなく人に借りて試合に臨んだという苦い経験があるので今回は擦り切れのないように注意したつもりだ。それなのにまた試合進行係の人は私のラバーの可否を尋ねに事務局まで持っていってしまった。 ラバーが磨り減りすぎてITTFの文字が見えなかったためらしい。結局は使えたのでよかったが、ダブルスの日に試合進行係が変わるとまたラバーが問題になったので、次の試合の前には自らオフィスに赴き、「何度もラバーの確認されて時間が無駄だからこのラバーは大丈夫というサインがほしい」というとそんなものはないが何かあったらいつでもテーブルにいってOKだと言ってあげる、というのでそうすることにした。 知り合いにラバーを見せると、裏ラバーでこのように中の粒粒が見えたら変えたほうがいいし、1部剥がれているのもよくない、と言う。 確かに1年以上使っているが、今のところ支障はないので違反でないならそれでいいではないかと私は思った。 チャンピオン戦では1勝もしたことがないので目標は1勝であったが、あろうことか、続けて3勝もし、あと1回勝てば準決勝というところまでいってしまった。 あとで日本人対戦者から「あなたのラバーは本当はアンチではないか」と疑われ、3勝目の日本人対戦者からも「こんなラバーは古すぎて違反だ」とまで言われてしまった。 つまり勝因はこの古いラバーにあったのだ。 だったら2年後のスペインでの大会にもこのようなラバーを使おうではないか。 帰ったら新しいラバーに変え、その同じラバーで2年後のスペイン開催の大会に臨むことにしよう。     <大会の有名人> オーストラリア代表のドロシーさんはこの大会に毎回参加されているが、あまり勝つことはないらしい。でも地元のメディアは彼女を必ず追いかける。 なぜなら彼女はこの大会の最年長者だからだ。 中国で行われた2010年の同大会のころを中心に英国人による「Ping Pong」というドキュメント映画が作られ、そこに登場する8人の80歳以上の選手の一人で、その時は99歳だったので今年は103歳ということになる。 その映画に出演する8人の年齢を合わせると703歳と堂々たるもので、2013年にニュージーランドの30ほどの映画館で上映されたこの映画は卓球に興味ない人の心琴線にも触れる人気のある映画であったらしい。機会があればぜひ見てみたいと思う。 予告編をネットで見ると、中国人らしい人から「そんな高齢でなぜまだ卓球をするんですか?」と聞き様によっては失礼な質問を受けていたが、一枚上手の彼女はそれをさらりとかわしていた。 「わたしゃまだそんなに年じゃないよ」。 この映画の魅力がこの言葉にあるような気もした。 今大会もドロシーさんをあちこちで見かけたが、いつもカメラとマイクの人が後から金魚の糞のようについて回っていた。私も記念に1枚取らせていただいた。 どうやら映画はまだ続くようだ。 と思っていたらドロシーさんは今年の1月に亡くなられた、というではないか!? 会場にいたのはドロシーさんとばっかり思っていたので、すぐに今回の開催事務局にメールでこの写真の人は誰か、と問い合わせたらすぐ返事が来て彼女はドイツ代表で93歳のインゲブリジットへルマンさんで、今回の最年長者、と教えてくれた。 車椅子も使わず、ユニフォームがオーストラリアでなかったのが気になったとは言え、あれだけのメディアの注目を集めることができるのはドロシーさん以外にないと信じて疑わなかったのだが、彼女だっていつかは死という不条理な行事を迎えるのだ。 だけど103歳まで彼女のように死ぬまでベテランズ大会に参加できたら、人生の締めくくりとして文句のある人はいないだろう。 私だってたとえ400ドルのバナナを買わされてもおおらかな気持ちになるに違いない。 今回の大会にもすでに予約を済ませてあったらしく、実際のところは「せめて死ぬ前にニュージーランドの大会に参加したかったよ」くらいのことを彼女は考えていたのではないかと私は思う。 たとえ103歳でも、普通の生活を営める人が死に見舞われる時はたいてい生活の途中だろうから少しは残念だったろうと思う。 ところで95歳でなくなられた作家の住井すえさんのインタビューを何年か前にテレビで見たことがある。「貴方にとって死とはなんですか?」という質問に彼女はためらいなく「時間切れです」と答えていたのを今でもはっきりと思い出す。私はそのときその答えにひれ伏したい気持ちになった。 なんて潔くてエネルギッシュな言葉だろう。 それ以来気持ちが落ち込んだときにその言葉を記憶の箪笥から引っ張り出して眺めなおし、活性剤として利用している。今でも私の最も好きな言葉だ。 その「時間切れ」の時に住井すえさんほどの潔さにはかけるが、「もうちょっと生きたかったけど、ま、いいか。」くらいの気持ちになれることが私の理想である。     ところでいったいこの大会で勝つのは簡単なのかどうか。 高齢者ばかりなので勝てそうに思うかもしれないが、なんのなんの。年齢で分けられているため勝ち残るのは並大抵ではなく、年齢が低くなり、50歳代、40歳代などになるとプロも真っ青になる選手が入り混じるからだ。 ワルドナーの黄金時代に同じくチームメイトとして勝利に貢献したピーターカールソンが今回初参加しており、誰もが認める優勝候補であったが、準決勝で中国選手に負けてしまった。 アップルグレンも何度かこの大会で優勝を逃したことがあるし、過去に世界選手権で名を馳せたことのある選手も勝つのに苦労している。 そんな強い選手と組み合わせによっては最近はじめた初心者のような選手でも対戦できるのがこの大会の大きな魅力でもある。 今年の男性優勝者には中国人が目立ち、女性は日本人が多かった。     <テニス肘の治し方> さて、年を重ねるにつれてからだのあちこちに故障がおき、特によく使う肘を痛める人は多いと思う。 私も例に漏れず、テニス肘に苦労した口であるが、ある治療法で簡単に治ることがわかった。 それはミツバチの毒である。 5年ほど前に私はリウマチを患い、治療法を必死に探した結果この蜂毒にたどり着き、完治させることができたことを打ち明けよう。 それ以来蜂毒に関する本を読み進むにつれて、他の炎症系疾患とともにテニス肘にも大いに効果が見られることがわかった。 次にテニス肘にかかったとき、早速試すと、何もしなければ直るまで2~3ヶ月かかるはずの症状が1週間ほどで痛みがすっかりとれてしまった。 先日福原愛選手が痛み止めを服用しながらオリンピックに臨み、今回の世界選手権は疲労骨折のため欠場を決めたというニュースを聞き、彼女にはぜひこの蜂毒を試してもらいたいと思っている。 骨粗しょう症など強い副作用を伴う痛み止めは痛みを完全に取り除きはしないが、副作用がまったくない蜂毒は炎症を完治させてしまう上に健康増進という大きな副賞まで与えてくれるので炎症に悩む人にはぜひ試していただきたい。 英国王室のケイトミドルトンも使用している、と有名になったあの蜂毒クリームと同じ原料である。 興味のある人はネットで「日本アピセラピー協会」を検索し、最寄の蜂毒療法所をお問い合わせください。     <試合後の小旅行> 試合終了後、オークランドからバスで4時間ほどのロトルアという観光地に2日間をかけて足を伸ばした。 ホテルから市バスで20分ほどのところにマオリ族文化紹介観光地があり、マオリ族の民族ダンスが見られて土の中に入れて地熱で食べ物を加熱するという伝統的料理方法によるランチも味わうこともでき、おまけに敷地内に住む国鳥のキウイとも対面することができ、大いに満足した。 そこにはしょっちゅう温泉が噴出す間欠泉があり、泥温泉があり、沸騰した温泉があった。 温泉卵こそ売られていなかったが、噴出す温泉と硫黄のにおいは別府を思い出させる。 あまり長い休暇を取れない人にはコンパクトに観光を満喫できるここロトルアがお勧めだ。 次の開催地はスペインらしいので次回も参加できるように体力と経済力の調整に励みたい。 2014-10-22 00:00:00 アメリカ、サンタローザ在住 フミ・クリステンセンさんより『世界ベテランストックホルム大会体験記』が届きました! http:///travelbook/item/491.html <参加はキャンセル待ち> まさか断られるとは思っていなかった。 1年おきに開催されるこのベテラン大会はいつも開催年の年初めか、前年の年末あたりの申し込みで問題も無く予約できたのだが、今回2012年6月大会は年初めに申し込んだら「3200人の定員に達したため締め切った」という返事が返ってきた。 そんなことを言われてもこちらとしては困るのだ。この大会参加は今や私の恒例となってしまったし、卓球をたしなむ者としてはワルドナーやアペルグレンを生み出したスウェーデンを一度は訪れてみたいと思うのが人情というものではないか。 私が住むアメリカからのこの大会への参加数はいつも少なく、たった1人の追加だし、私は大のスウェーデンファン、と情にも訴えてメールで頼み込んだが、「残念ながらキャンセル待ち」というそっけない返事だ。付き添い役の夫もこれを楽しみにしていたので「何でもっと早く申し込まなかったんだ」と私を攻めるし、おかげで2週間ほどは無念さで食欲がかなり減退した(体重は変わらなかったので気のせいかも知れない)。 だけどいつまでもくよくよしていても仕方が無い。 今回はそのためのお金も使わなくて済んだし、次の大会にはもっと早めに申し込むことにしよう。そう思ってやっと気持ちが落ち着いたころ、「参加しても良い」というメールが送られてきた。  そんならもっと早く言ってくれればいいのに――ッと大声で叫んだが遠いスウェーデンまで届くはずも無く、「1週間以内に申し込みが無ければ不参加とみなす」と続いて書かれた文章に気付き、あわてて申し込んだ。やっぱり行きたいなら愚痴を言っている場合ではないのだ。 結果として3500人の参加者だったらしいから私のようなキャンセル待ちの人たちが300人ほどいたということになる。 1970年代の終わりにスウェーデンの町でこじんまりとスタートしたこのベテラン大会は多くの人の要望に押され、ちょうど30年前の1982年に世界ベテラン大会としてデビューしたという説明が今回の案内書に書かれていた。450人の参加者からスタートしたこの大会、2006年のドイツ大会では3650人を記録している。このスウェーデンでは3200人限定という当初の決定は志が小さすぎるような気がするが、我々が計り知れない開催側の事情というものもあるのだろう。   <見逃せない開会式> さて、この大会の一つの見どころは開会式である。私はそのことに気付くのが遅く、どうせスピーチばかりでおもしろくないにちがいないと勝手に決め込み、殆ど無視していたのだが、2008年のブラジル大会には飛行機の都合で間に合ってしまったため初めて参加した。各国の旗と共に地元の子供たちがもたもたと会場を動き回るのを見て「こんなもんか」とやや失望しながら終わるのをまちわびていた。待ちきれずに席を発ち、ホテルからの迎えのバスを探しに行く何人かの人たちを見習って私たちもそろそろ、と腰を上げた時、裏手の方から音楽が聞こえてきた。 どこかの楽団がセレモニーの終わりを告げる音楽を演奏しに来たらしいが、それなら早く済んで欲しい。そう思って音楽の行方を目で追うと、そこからいきなり派手な色合いのものが目に飛び込んできた。1メートルほどの鳥の羽を上にかざした頭、濃い化粧、きらきら光る派手な衣裳で高いハイヒールをはいた女性たちが躍り出てきたのだ。見ていると、つぎから次へと派手衣裳の男女がジュづつながりでびっくり箱からとびだすように小さな入り口からおどりでてくるではないか。見る見るうちに100人ほどのカーニバルダンサーが一通りそろい、まだあっけに取られている我々に彼らは「こっちに来い」と手招きをするので吸い込まれるように飛び出していった。 あの有名なリオのカーニバルに出てくるのと同じダンサーと一緒に踊ることができるなんて生きているうちに経験できるとは思ってもいなかったので我々は年も忘れて大いにはしゃいだ。 そんなわけでブラジルでの試合内容は今では殆ど思い出せないが、この開会式の興奮ははっきりと記憶に残っている。 その2年後の中国での大会も参加したが、飛行機の都合で開会式をみのがしてしまい、後から知り合いに聞くと、かなり印象的で盛り上がったものだったらしい。 したがって今回の大会にはわざわざ開会式にも参加できるように飛行機を確保した。 ワルドナーが挨拶しに駆けつけたりしたらもうけものではないか。 そしてワルドナーはしっかりとそれに答えてくれた。 一通りの挨拶の後、ワルドナーはアペルグレンとのゲームを披露してくれたのである。 我々が座る2階の観覧席だと会場の真ん中に置かれたテーブルでの彼らの試合はよく見えないが、それでも肉眼で見る試合には大いに興奮し、大いに満足した。   <試合開始> いつも通り、月曜日のシングルスは4人グループでの総当りだ。 今回の私の相手はドイツ、フランス、日本で、ドイツ人は以前にも対戦したことがあり、彼女もちゃんと覚えていてくれた。 ここでの上位2人はプレイオフに進み、下位2人はコンソレーションつまり敗者復活戦に進むことになり、私の場合、自慢じゃないが2004年の横浜大会初参加以来プレイオフに進んだことがない。 ところが今回は以前に負けたドイツ人を接戦で負かし、フランス人もフルゲームのジュースの末勝つという番狂わせがおきた。競り合いの試合が終わって傍で観戦していた夫に「負けるかと思った」と言ったら彼はびっくりして「えっ?勝ったの? 居眠りしてて見逃したよ」。  初めてで、これが最後かも知れないこの勝利戦を見逃すなんてはるばるスウェーデンまで来た甲斐が無いではないか、と言いたかったが、身内であれ、負けてばかりで面白くない試合を見なければならない者の身になればかなりのガマンが必要なのかもしれないからここは何も言わないことにしよう。   火曜日はダブルスだ。 私の場合ダブルスのパートナーは毎回主催者側に決めてもらっている。そうすることで、練習は全くできないが、少しの間でも違う国の人と交流できるのが楽しいからだ。今回のパートナーはオーストラリアに住む中国人で彼女の粒高ラバーのおかげでかなりの対戦相手を苦しめることに成功したが、惜しくも3位となり、コンソレーションでの敗者復活コースとなった。負けても復活できるところがこの大会のいいところである。 彼女とは尖閣諸島問題のわだかまりなど微塵も無く民間友好を楽しく結べたのもうれしかった。   <中休みは市内観光> このベテラン大会のスケジュールは世界中どこで開催されてもほぼ同じで、月曜日、火曜日はシングルスとダブルスの予選が行われ、水曜日は休みで木曜日はシングルスの決勝トーナメントとコンソレーションがあり、金曜日はダブルスの決勝トーナメントとコンソレーション。土曜日は準決勝と決勝という段取りになる。   休みの水曜日は大抵の人達は近辺の観光にくりだすということになり、我々も楽しみにしていた市内見学に出かけた。 海に面したストックホルムの中心地は美しい町であった。太陽の光を一面に浴びる海辺の町並みに「世界で一番美しい町やね(日本語に変えると大阪弁になる)!」と月並みだが感動の言葉が思わず口をついて出る。 絵本に出てくるようなオールドタウンと呼ばれる古い建物保存区域、それにあわせるようにどっしりと歴史を思わせる市役所、巨大なロイヤルパレス、そして見逃してはならないのがノーベル賞受賞式が行われるノーベル博物館。それらは全て歩いて見物できる距離にあった。その周辺に肩を並べて並ぶ観光用のホテルやレストランやバーやアイスクリームショップは我々を楽しませるのに十分な演出を発揮していた。 海が入り組んだストックホルムには橋がたくさんあり、何気なく端の欄干に目をやると面白い物がたくさん引っかかっていた。それらは鍵であった。よく見るとそれぞれの鍵に文字が書かれている。 スウェーデン語なので読めないが、多分「仕事が見つかりますように」とか「彼女と結婚できますように」とかの願い事であろうと想像する。日本のお寺の祈願の絵馬に代わる用途のようで、成就したらそれぞれの鍵を外しに来るに違いない。願いを何かに託す行為というのはどうやら国を問わないようである。 今回はきつい予算で参加したため、極力出費を抑えるためいつも申し込む主催者側推薦のホテルは避け、ネットで見つけた朝食付で2人で1日4000円未満という格安で個人宅の一部屋を借りることに成功した。 経費を更に抑えるために滞在中の半分くらいは近くのマーケットでソーセージやサラダなどを購入し、滞在先のキッチンで料理して食べたが、それはこの国の食事情を伺いし知るのにも少しは役立ったような気がする。 食料の値段はおおむねアメリカの物価と同じ価格であり、パン類はアメリカよりかなり味が良かった。ただしパンの味では大抵の国がアメリカに勝ることも書き加えなければならない。 ところで観光中に尿意をもよおし、うまい具合にホテルが目に入ったので飛び込んでトイレを探し当てたが10クローネと有料だったので、もう少しガマンして違うホテルに行くとそこもやはり10クローネであった。たかが100円ほどとはいえ、経費節約中の我々は更にガマンを重ね、帰りの電車の駅構内の公衆トイレを探し当てたが、なんとそこも10クローネであった。そこですでに限界に達していた私は支払いももどかしく駆け込んだ。 滞在した家のホストの話によるとスウェーデンでは医療はもちろん教育費は全て無料になっているらしい。大学の医学部まで無料と聞くとアメリカや日本で苦労して高い学費を捻出する人にはなんともうらやましい話だが、そのかわり税金ももちろん高いということになる。日本やアメリカと比べてどちらが良いか一概に言えないが、人間の生活に重要な医療、教育、福祉がそこまで完備していれば、街のトイレが有料でも誰も文句言わないことは確かである。 ついでながらスーパーマーケットで購入物を入れるビニールバッグもどこも有料で1~2クローネであったので購入したバッグは持ち歩いて何度も使用することにした。 さすがに試合会場のトイレは無料であったが、一つ困ったことがあった。 トイレのドアに付いたサインがいったい女性用なのか男性用なのかすぐにはわからなかったのである。2種類のサインのドアを何度か往復し、比べてやっと判断したのだが、男性用のパンツ姿に短いスカートに見えるジャケットが描かれていたために混乱を招いたようだ。   スウェーデンの冬は厳しく、トイレのサインにも長めのジャケットが要るのだろう。だけど他に混乱していそうな人は見られなかったのでひょっとすると混乱したのは我々だけだったのかもしれない。   <再び試合と小波乱> 木曜日のシングルスプレイオフは勝ち抜き戦で1時半からだったが、試合予定の場所を確認するため1時間ほど前から他の試合を見ながら待機することにした。相手は日本人である。 相手も私と同じく他の試合を見て時間をつぶしていたので台が空くと直ちに練習に入った。プレイオフともなれば審判もつけてくれるのでたいしたものだ。いつも早くに負けてばかりいたのでこんなことも初めての経験だ。 試合を始める前、お互いのラケットをチェックした時、相手が私のラケットを見て驚いた。 ラバーをしばらく替えていないため端の方が台にあたって磨り減ってきているのだが、その磨り減り方が激しいというのだ。彼女は審判にこれは問題ないのかどうか、尋ねると、ラバーの磨り減り方については全く知らない審判は「わからないけど、いいんじゃないかな」と頼りない判断を下したが、念のためにとそこら中の知っていそうな審判仲間に聞きにまわり、誰もわからなかったので本部のようなところに尋ねにいく羽目になった。そして結局このラケットは使用できない、と判断されたのである。 さあ困ったのは私だ。これが使えなかったら試合ができないではないか。 試合では何が起きるかわからないからラケットは必ずエキストラに持っていけと言ったコーチの顔が浮かぶが、だからラケットだけは殆ど移植用の心臓を運ぶように大事にバッグに納めて持参したのだが、それだけ大事に運んできたラケットのラバーをろくに交換もせず、下のスポンジも1cmほど露出し、板の部分も露出と磨耗で内容物が飛び出すほど手入れを怠っていたのではラケット虐待の罪に問われても仕方あるまい。 そんなことを考える暇も有らばこそ、試合開始まで5分しかない私は急ぎラバーを買いに走ったが、走りながら、ラバーを張り替えて使用できるまでに5分でできるはずがないことに気付く。 再び試合現場に取って返し、私は最後の手段に出た。審判に賄賂!などという汚い手は使わない。そこらで試合の順番を待つ人に手当たり次第ラケットを貸して欲しいと頼みまわったのだ。居合わせた親切なハンガリーの女性が見かねてラケットを貸してくれたおかげでやっと試合を開始させることができた。 試合前の波乱のわりにはあっけない敗北であったが、初めてのプレイオフに棄権することなく参加することができたことにここは満足したい。   <文化の違い> この波乱のしばらく後、私の夫が同じ試合会場で面白いシーンを目撃した。 中国人女性選手がやはりラケットの何らかの違反で試合できなかったのだが、違反ラケットの使用を拒否する審判への彼女の反抗の仕方というのがすさまじかったらしい。違反とされたラケットを審判が取り上げたかたちになり上に持ち上げ、彼女はそれを取り戻そうと必死に手を伸ばし、激しくわめき始めたため駆けつけた彼女のコーチのような女性が彼女を床に押し倒し、馬乗りになって彼女を押さえ、やっと静めたのだ。もちろん試合はでできなかったようであるが、多くの人が見守る前でそのようなシーンを披露することをはばからない中国人はたくましいとつくづく感心した。 そういえば2年前の中国でのベテラン大会で、帰国途上に北京空港で強いスモッグ発生のため飛行機の出発が大幅に遅れた時の事。 航空会社提供の無料飲料水を飲んでおとなしく待つ我々の耳に激しい女性の金切り声が聞こえてきた。その声の出所を追うと、10メートルほど離れたところで、ブランド(またはブランド風)のドレスに身を包んだ40歳前後の女性がカウンター超しに係員に激しく抗議していているのが見えた。右手に抱えたルイビトン(多分)のバッグを大きくふるわせながら、おとなしい係員に今にも噛みつかんばかりに高いトーンでけたたましく言葉をたたきつけていた。30分ほど続いた彼女の抗議によって出発を早めたということはついに無かったが、何事も簡単にあきらめたりしない中国人の気質に触れたような気がした。   違反でも何でも無いが、絶対とは言わないにしてもめったに他では見られない光景もあった。  年を重ねると試合の汗で湿ったユニフォームはできるだけ早く着替えないと風をひきやすいが、それを多くの人たちが見る試合場の卓球台のすぐ近くで行っている女性がいたのだ。彼女はドイツの旗のついたユニフォームをスパッと脱ぎ捨て、白いブラジャーをいきなり人目にさらし、特に急ぐわけでもない風に替えのシャツをまとった。その間ほんの3秒ほどではあったが、それを近くでまともに目撃した私は驚きと恥ずかしさのあまり思わず回りを見渡すと同じように目撃したアジア系男性と目が合ってしまい、彼の「ワォー」という感嘆詞に同意する格好になったと思う。 ここまではOK,この線以降は恥ずかしい、という線を我々は常に無意識にわきまえているが、それは文化や地域や時期によって多少ずれるもののようだ。例えばアメリカのある地域ではヌードになってもとがめられないビーチがあるし、太陽に当たる期間がやや少ないドイツで晴れた日に公園でブラジャーを外して日光浴をする光景をニュースで見たこともある。彼女の場合もどちらかというと何のためらいも無くユニフォームを脱いだという風情で、こんなことは恥ずかしいうちには入らないという様子だった。 中国人の場合もドイツ人の場合も日本人の気質にはあまり沿わないのは間違いないが、こんな場面を目撃できるのも世界ベテランズ大会の特権であろう。   なにせ世界大会であるからしてルールは厳守であるし、どの選手も真剣勝負を繰り広げるが、あくまでシニア限定大会なので殆どの人が旅行をかねてののんびりした雰囲気が全体に漂う。 地元メディアもカメラを持って駆けつけるが、彼らの注目を集めるのはもっぱら90歳代の選手たちの打つボールのゆくえである。 試合のつど渡される参加者確認用紙の字が老眼で読めなくても大抵の選手は電話より老眼鏡を携帯しているので聞けば気軽に貸してくれる。日本語以外はほぼ英語でまかなえるので「クデゥアイボローユアリーディンググラスィズ?」(Could I borrow your reading glasses?)をそのときのために憶えておくと便利だ。   <ワルドナーと記念写真> あれは確か木曜日だったと思う。 午前11時頃に、お昼の12時から1時間ワルドナーのサイン会が行われるので希望者はDONIC(ワルドナーが契約する卓球ブランド)まで来てください、という場内アナウンスがあった。12時に飛んでいくと、すでに20人ほどの人たちが順番を待っており、列に並ぼうかどうしようか、迷っているうちにその数はますます増えていったのであわてて列に加わった。 私の前で順番を待つ人たちの数がなかなか減らないので様子をうかがうと、一人づつワルドナーと一緒の写真をとっている。なかなか順番がまわってこないはずだ。待ってる身にもなってよね。まッたく。私の後ろで待つ人に申し訳ないと思いながら私も写真を取らせてもらったのは言うまでもない。 第一日目の月曜日に偶然アペルグレンと試合会場で見つけたので機会を逃さず一緒に記念写真を撮らせてもらったのもあるからこれでスウェーデンまで来た甲斐が十分あったというものだ。   <準決勝と決勝> 金曜日のダブルスコンソレーションも滞りなく終わり、最終日の土曜日はいつもどおりシングルスとダブルスの準決勝及び決勝が行われた。 これに参加できるほど勝ち残ったことはもちろんないが、毎回欠かさず観戦している。 私がこの大会に始めて参加した8年前には年齢別の40歳代で優勝したアペルグレンはほぼ毎回夫婦で参加しておりこの大会の「顔」というべき選手だ。当大会では最年少の40歳代ともなると以前ナショナルチームの選手だったという人達も参加しており、しかも準決勝あたりとなると世界選手権と比べても遜色ないほどだ。確かその次のドイツ大会で彼は準決勝でイギリス人に負けたと記憶しているが、今回は50歳代で以前中国のナショナルチーム選手だったというオーストラリア在住中国選手を接戦の末負かし、優勝を決めた。 40歳代ではベルギーナショナルチームで活躍したフィリップサイブが優勝した。   <大会の「顔」> アペルグレンをこの大会の「顔」と書いたが、実は「顔」は彼一人だけではない。 世界大会6回の出場を果たし、1960年の日本選手権で三冠王となった伊藤和子さんは当大会の常連でもあり何度も優勝しておられる。今回はお見かけしなかったが日本ではまだ現役でコーチとしても忙しい毎日を送っておられるとのことだ。 もう一人の「顔」江口富士枝さんは卓球雑誌などで50年代の黄金時代に国内外でのチャンピオンの座を長く持ち続けられた驚異の選手として卓球誌でもよく紹介され、写真も頻繁写真も掲載されていたので顔は存じ上げていた。 ベテラン大会で彼女らしき人を見かけ、いろんなお話をお聞きしたいと思っていたが、そんな伝説の主に声をかけるなんて大それたこと、と長く遠慮していたと思う。そして2年後のある日勇気を出して「ひょっとして江口富士枝さんですか?」とおずおずと話しかけたら「そうです」とやさしく微笑みかけてくれ、おまけに当時のいろんな思い出話なども話してくれた。彼女は大変気さくな伝説の人であったのだ。 確かブラジルのベテラン大会だったと思うが、練習相手を探していたらそこに居合わせた江口さんが気軽に練習相手を引き受けてくださったことがあった。ベテラン大会ではこんなうれしいハプニングさえ起きるのだ。 あとで江口さんの戦果をネットで拝見すると彼女は世界大会でシングルス、混合ダブルス、チームの優勝を55年前の1957年に制覇しておられるが、それはなんとここストックホルムでの出来事だったのだ。きっといろんなことを思い出しておられたに違いない。次にお会いした時に是非話をお聞きしたいと思う。   <終わりの時> 全ての予定が終了し、宿泊先に戻る前に少し時間があったのでもう一度ダウンタウンを訪れることにした。何軒かある旅行者用みやげ物店では多くの大会参加者が最後の買い物を楽しんでいる。話しかけたことはないが見た顔、というのもいるし、参加者とすぐわかる服装の人もいるので不思議に特別な親しみを覚えた。試合の1週間が終わり、それぞれの国に帰っていく時、やれやれという気持ちと、楽しいひと時の終わりがついにやってきたという寂しい気持ちとが入り混じり、やや感傷的になった。 2年後の参加を固く誓うのはこんな時である。 投稿者紹介: 〜 フミ・クリステンセン 〜 アメリカ・カリフォルニア州のサンタローザ在住。 アメリカに渡り早ウン十年、卓球を始めるやいなやその面白さに取り憑かれ、「卓球やりながらポックリ死ねたら幸せやわ〜」なんて言っている根っからのピンキチ。 デンマーク系アメリカ人のご主人は卓球の経験がまったくないが、2年に一度の世界ベテラン大会の魅力に取り憑かれている1人。 卓球と出合い、2年に一度の世界ベテラン大会が、夫婦にとって一番の楽しみ! 2013-01-29 00:00:00 RALLY TALK VOL.9 ハワイ卓球協会会長 リック会長 http:///travelbook/item/458.html 2009年の第一回大会からハワイラージボールオープンの大会運営委員長を務めてもらっているハワイ卓球協会会長のリック会長にインタビューしました! (左)リック会長 (右)通訳のミホさん Q1 今回で3回目となりますが、大会開催準備など大変ではないでしょうか? 運営委員長の石塚さんを始め、副運営委員長の平井さん・遠藤さんがいろいろとお手伝いをしてくれたので大変ではないです。   Q2 クラブの皆さんは大会に参加してみてラージボールをどのように評価していますか? みんな、ラージが大好きです。毎年毎年、練習する期間が長くなって、真剣に取り組んでいます。   Q3 現在、日本の他、韓国、中国、グアムで少数のプレイヤーがラージを楽しんでいるようですがハワイではどうでしょう。 特別にラージボールを練習している人は少ないですが、こちらの人は新しいことをやることが好きなのでラージボールも楽しくプレーしています。   Q4 話は変わりますが、会長と卓球の出会いは? 小学6年生の時に初めて卓球というスポーツに出会い、2年後の中学2年生でオレゴン州で有名なクラブチームを友人に紹介してもらい、始めました。 その後、1981年にハワイに来て約10年間プレーをした後、2001年にハワイ卓球クラブの会長となり、運営に携わってきました。卓球と共に自分も成長してきました。   Q5 ハワイの卓球事情について教えてください ホノルルには私が運営しておりますハワイ卓球クラブの1つしかクラブがありません。 ハワイ卓球クラブは総勢80名の人が所属しており、練習場所はパラマ体育館の他にも5,6ヶ所の体育館があり、そこで練習しています。卓球人口は年々増えていますが、体育館の使用レンタル料が高くて練習する場所があまりないのが現状です。 ハワイにはホノルルの他にもハワイ島・マウイ島にもクラブがあります。 Q6 今後のクラブの活動や目標は 今の状態を続けて、さらに会員数・練習場所をもっと増やしたいです。 日本からのクラブを大歓迎し、もっといろんな人と交流・試合をしていきたいと思いますので皆さんお待ちしております。   Q7 来年もハワイラージボール大会を運営していただけますか? もちろん、もちろん、もちろん。 定期的に毎年開催したいです。    パラマ体育館 練習の様子         大会中にもかかわらず、気さくにインタビューに応じてくれました。 リック会長、通訳してくれたミホさん、本当にありがとうございました。 来年もぜひよろしくお願いいたします。 2011-12-07 00:00:00 Vol.10 フィジーより 小川蘭さん http:///travelbook/item/356.html 青年海外協力隊としてフィジーで卓球の普及に貢献している小川蘭さんからお便りをいただきました。 小川さんは、武蔵野中・高で6年間卓球部に所属し、中心選手として活躍しました。進学した早稲田大学では国際協力に関心を抱き、JICA短期派遣制度によりアフリカ・ザンビアでの卓球普及活動にも参加しました。 ・青年海外協力隊に応募したきっかけはなんですか? JICA短期派遣でザンビアにて卓球の普及活動に参加し、自分も長期でやりたい!と思ったことと、周囲の友人数名が協力隊(卓球)に参加していて話を聞き、興味を持ったからです。   ・現在の活動内容は具体的にどのよう様なことですか? フィジーナショナルチームの教科指導やフィジー全土の小学校巡回卓球教室、選手名簿作成および管理などフィジー卓球協会関係の事選手名簿作成および管理などフィジー卓球協会関係の事務処理などを行っています。 その他、国内大会の準備・開催、ITTF coaching course の開催、visa の取得など海外遠征の準備、ナショナルチームトレーニング計画の作成なども行っています。 フィジーチーム New Zealandにて ・一日のスケジュールを教えてください。   とある忙しい1日のスケジュール 8時 起床 9時~12時 小学校巡回 12時~1時 ランチタイム 1時~2時半 小学校巡回(午前とは違う学校) 3時~5時 放課後卓球教室 6時~8時 ナショナルチームトレーニング 8時半 帰宅 9時~ 夕食、インターネット、シャワー、就寝   とあるナショナルチームトレーニングがない1日のスケジュール 8時 起床 9時~3時 オフィスワーク(フィジー卓球協会) 4時~6時 放課後卓球教室 6時半 帰宅   教会で卓球教室 ・フィジーで卓球というイメージはあまりないのですが、どのような人が卓球をするのですか?   本当にたくさんの人種が入り混じって卓球をします。フィジーに住んでる約4割がインド人ですが、インド人には意外に人気があります。約2割を占めているのが中国人ですが、やはりアジア人にはとっても人気です。 ローカルのフィジアンですが、熱しやすく、冷めやすいのが特徴で、ナショナルチームのレベルまでいく選手は少ないです。 ナショナルチームの構成は中国人、インド人、ロトゥマ人、韓国人とフィジアンといった感じです。笑 養護学校卓球訪問 ・フィジーの卓球事情を教えてください (例えば日本でいうと、中学・高校単位で所属して練習するとか、クラブに入って練習するとかetc...) 日本とは大きく違い、卓球クラブが学校にあるところはほとんどありませんが、卓球台があるところは放課後に教師と生徒がプレーしているそうです。 フィジー卓球協会から卓球台をレンタルしている学校もあります。   卓球の人口は1000人くらいと卓球会長から聞いたことがありますが、本格的にフィジーチームとして活躍する選手は限られていて、3,4年後にフィジーを担う選手を養うことが急務となっています。   この2年間、多くのこどもたちや教師、両親を中心に卓球というスポーツを紹介し、楽しんでプレーしてもらうことをモットーにするとともに次世代を担う選手を育成することを目的として活動してきました。卓球人口の底辺層拡大が一番の目的でした。 青空卓球教室 ・日本とフィジーの違いで一番違うと感じたところはなんですか?(卓球面・生活面)   卓球面:これはザンビアでも感じたことですが、“強くなること”よりも“楽しむ”ことが重要 生活面:フィジー人はすれ違うたびに、笑顔で挨拶をする。 食べ物をみんなでシェアする広い心持っているが、人に物を借りたら自分のものとなり返さない。 元気な子供達 ・フィジーのお勧めスポットや食べ物を教え下さい。   家から歩いて5分で海沿いに出るが、朝日と夕日がすごくきれいです。 離島に行くと、これぞエメラルドグリーン!という透き通った海に出会えるんです。 私のお気に入りは、ココナッツミルクで炊いたご飯と、ココナッツミルクで煮込んだロロ(タロイモの葉)を一緒に食べることです。 インド人の作るカレーは辛いが、ロティ(小麦粉と水でこねたナンのようなもの)と一緒に食べると本場の味で美味なんですよ。 フィジーの離島 自宅でBirthday party ・帰国後または、今後のプランはありますか? 帰国まで2ヶ月をきりましたが、計画は全く立てていません。。。 私の最終目的は、来年または再来年までにフィジー選手を日本の大会に出場されることです。 私の最終目標がフィジー選手を日本の大会に出場されることなのですが、そのための費用を集めたいと思っています。 フィジー選手を日本の大会に出場へ フィジーの選手を日本へ招待するために、募金を募っています。 ご協力いただける方は電話:03-3586-7143またはEメールアドレ ス:info@wlpp.netまでご連絡いただきますようお願い申し上げます。 皆様からのあたたかいご支援お待ちしております。 2010-05-04 00:00:00 Vol.9 ロサンゼルスより 大野さゆりさん http:///travelbook/item/345.html ロサンゼルスより大野さゆりさんからお便りをいただきました。 こんにちは。 私は日本大学の卓球部に所属し、大学卒業後ロサンゼルスに来て2年が過ぎました。 こちらでは生活も、人も、学校も、仕事もすべてにおいて日本と180度違うと言っていいほどです。 もちろんいい面も悪い面もあります。 例えば…人はとってもフレンドリーだけど、接客などはとてもひどいときもある。 バスなども、時間通りに来ることはなくたまに同じバスが2台並んで来ることもあるんですよ。 祝日なども違って、アメリカはクリスマス=家族と暮らすですが、日本では恋人優先ですよね。 日本はお正月は大事な行事だけど、アメリカはカウントダウンしたらささっと帰って、1日からは普通に働きます。 沢山エンターテイメントがあるので、とても住みやすく楽しく暮らしています。 そんな私にLAを紹介する機会ができたので、「観光地のLA」ということで、ちょこっとLAに来た時に楽しめるオススメを紹介したいと思います。 LAで卓球ができる場所  ・私の所属するクラブ 私は毎週火、金、土曜日と練習をやっています。 土曜日の夜は毎週お金をかけた試合があって1位になったら35ドルもらえる!!^^ 1回7ドル払えば好きなだけ出来て、ラケットを持ってなかったら貸してもらえる。 ここには、北京チーム出身でアメリカオリンピック代表のワン・ウェイさんがいます。 個人レッスンもグループレッスンも受けられます。 誰でも、一人でも参加OK! 場所もウエストロサンゼルスにあるので、行きやすいですよ。   ・W卓球クラブ 毎日朝から夜までオープンしているWクラブは行きたい時にいつでも行けます。 冷暖房も完備でプレイしやすい! ただここは練習相手と一緒にいかないとなかなか相手を捕まえられないかも。 ラバーやグッズもここで売っていますよ~! ・コリアン卓球クラブ  コリアタウンの真ん中にある卓球クラブは、来る人もほとんど韓国人です^^; 私は韓国人の友達と練習する時に使っていたので、初めての方にはちょっと入りづらいかも…。 でも、スタッフはいい人たちですよ~☆ ・V卓球クラブ LAからちょっと離れたところにあるが、中はわりときれいで経営者はベトナム人でいい人。 一週間休みなく開いているのでいつでも行ける。 LAの観光スポット ・ハリウッド ・ビバリーヒルズ ・サンタモニカプロムナード ・サンタモニカピア ・ベニスビーチ ・グリフィス展望台 ・ユニバーサルスタジオ ・ディズニーランド ・ゲティーセンター   LAのおいしい、人気店 ・アメリカンフード journeys…ピザと言ったらここ!おいしい!パスタもおいしい。 Hooters… 味よりもウエイトレスが全員ボインのお姉さん!!笑 いるだけでおもしろい。笑 Red lobster…高いけど、やっぱロブスターを食べるならここ!激うま! ・イタリアンフード Buca di beppo…アルフレッドのパスタがおいしい!Lサイズでシェアして食べると安上がり。 California Pizza Kitchen…ピザのサイズは少し小さいけれど、当たり外れがなくほとんどおいしい。 ・日本食 Torafuku…俳優の渡辺謙さんがよく来るというお店。味はホント日本の味! Yamashiro…とにかくハリウッドヒルズからの夜景がきれい!!味も景色もよし! ・タイフード Toi…夜3時までやってるっていう、ちょっと遅くにお腹すいたら行けちゃう。パッドタイがおいしい。韓国料理 Tofuya…スンドゥブと行ったらここ!Tofuyaはウエストロサンゼルスにあってコリアタウンまで行かなくても食べられる。                         Korean BBQ…コリアタウンに行けばどこにでもある韓国BBQ。なんといっても安くて沢山食べられる!! 平均は17ドルくらいで食べ放題。   ・メキシカンフード TacoBell ここはファーストフード店だがめっちゃ安くて味も悪くはない。 4ドルくらいでお腹いっぱいになれるのです!! LAのショッピングできる場所 ・サンタモニカプロムナード ここは観光客が必ずしも来るって場所です。 サンタモニカビーチにも行けて1日中いれます★ ・ビバリーセンター サンタモニカプロムナードにあるお店プラス、ヴィトンやグッチなどの ブランドのお店が入っている。安い店から高級店まであります。 ・ロデオドライブ ここは高級店のみ! 有名人に会えるかも!? ・ザ・グローブ 噴水ショーや隣にファーマーズマーケットがあり、食べるのもショッピングも 楽しみたいのはオススメ。 ただ、広くはないので半日あればいいかも。 ・ベニスビーチ お土産っぽいのやビーチらしいものが沢山売っている。 個人でお店を出しているので、お願いすれば安くしてくれるかも^^ ・ファッションディストリクト ダウンタウンの真ん中にあり、とにかくすべての物が安い。 80%ぐらいはメキシコ人が物を売っていて、治安の悪さのためか5時ピッタリに すべての店が閉まる。 安さ目当ての買い物はお得だけど、4時くらいまでには 引き上げた方がいいと思います。 LAのスポーツチーム ・野球 ドジャーズ エンジェルス ・バスケットボール レイカーズ クリッパーズ 他にもアメリカンフットボールやアイスホッケーも人気です。 もし、アメリカへ旅行へ行く機会があったら、ぜひ卓球も楽しんでみてください! 大野さゆり 2009-10-01 00:00:00 Vol.8 ベテラン大会 フミ・クリステンセンさん http:///travelbook/item/346.html こんにちは!久しぶりの手紙はブレーメンから! 今日は3年前のベテラン大会の様子を紹介したいと思います。何年か前から世界のあちこちで行われていたのは聞いていたが、わざわざ遠くまで行かなくてもと思い、今まで参加したいなどと思ったこともなかった。きっかけは2004年の横浜大会である。ちょうど日本にも行くことにもなっていたので、毎回何百人もの日本人を世界中の大会に動員させるほどのものがどんなものか見てみたいと思ったのだ。 予想通りというか、予想に反してというか、その面白さはかなりのもので、会場にあった次はドイツで開催という案内パンフレットをしっかりと確保し、申し込み開始日を待ち焦がれたほどである。そのドイツ大会に去年の今ごろ参加し、横浜大会に勝るとも劣らぬ楽しい体験をさせてもらった。私が参加するアメリカの地方大会はたいてい学校の体育館が使われ、そこに用意される20~30台くらいのテーブルで、200人ほどの老若男女が入り混じっ て腕を競う。 「クッソー、このヤロー」と競う緊張感は普段の練習では味わえないもので、十分面白いと思っていた。 ところがこのベテランズ大会はテーブル台数も参加人数も面白さも桁が違っていた。120台のテーブルで3000人の参加者というのは私が 参加した大会の中でもっとも大きな規模で、地図がなければたどり着けないところだった。テーブルの ナンバーが順番に並んでいても目的地を探し当てるのに一苦労したほどだ。 そんな苦労もこの大会の魅力のひとつになる。 なんといっても2004年の横浜大会は私にとっての初体験だからインパクトは強く、生きていてよかったとさえ思ってしまうほど楽しかったが、それはまた次の機会に譲るとして、順不同だが先にドイツ大会で思い出すことを書きたいと思う。 ブレーメンの音楽隊 ブレーメンには有名なビールブランドにベックスというのがあり、アメリカでも販売されているが、そのブランドで私がブレーメンにいる間中飲みつづけたドリンクがあった。それは半分レモンソーダが入ったビールで、それがなかったら1日を締めくくれないほど私は夢中になり、名前も気に入って初めて覚えたこの ドイツ語を頭に深く刻み込んだものだ。 ところが1年たった今日、そのドリンクの名前がどうしても思い出せないのである。初恋の男の名前をどうしても思い出せないもどかしさに似ているような気がするが、あれほど夢中になったドリンクの名前を忘れたんだからこのブレーメンのこともいずれ忘れてしまうだろうから、その前に書いておきたいと思ったのだ。 さて、そのブレーメンで、 シングルスの予選リーグが1日目に4人のグループに分かれて行われ、2日目は上位2人が決勝リーグに進み、下位2人がコンソレーションリーグに進む。つまり全員がシングルスだけで計6回も試合をすることができるのだ。ここがこの大会の魅力のひとつだと思う。 団塊の世代の私の高校の時の大会はやたら選手数が多く、リーグ戦などという時間のかかる方式はあるはずもなく、勝ち抜き選で、1回負けたら終わりだった。けれど同じクラブ員が勝ち進んだら帰りたくても帰れない。試合というと今でも思い出すのが長ーい1日と30分ほどのみじかーい試合である。あの頃、勝 ち進んで何回も試合できるようにもっと強くなりたいと心底思ったものだ。 私は最後の試合順番だったので早速対戦相手の腕の分析にこれ務め、ロシアから来たという彼女のバックハンドは強いが脇があいたフォアハンドに難があってあ れなら私のほうがましかも、とかシェイクハンドの日本人対戦者は高く返ったボールを絶対と言っていいほどスマッシュしないし、してもパワーがないのでこれ もいただき、などと考え、楽勝気分になった。スポーツは参加することに意義があるが、試合を目前の選手は勝つことに全力を尽くすはずだ。私はさらにその先 を進み、上位入賞したら何か賞品が出るのかな、などと考えていた。観戦に来た夫に「勝てそうか?」と聞かれて「多分全員負かせると思う」と自信満々に答える。 ブレーメン世界ベテラン大会会場 ところが難があると思っていたロシア人のフォアハンドが私のフォアを攻め続け、それをうまく返せないのだ。確かに難はあるが私はそれさえ打ち返せないで はないか。頼りにしていた日本人のシェ-クハンドも私の方が先にミスを出し、結果はなんと、最下位だった。 あとで夫が「勝てるといったじゃないか」と怒り狂ったが、そんなこと言われても負けたんだから仕方ない。「こんなの単なるゲームなんだからいいじゃない の」と帰りのブレーメン駅の立ち食いホットドッグをほうばりながら夫を必死になだめなければならなかった。「スポーツは参加することに意義があるんだから ね!」ッと。でもこれってホントは負けた私が慰められる立場じゃないのかね? 2日目はコンソレーションだ。 敗者復活戦のことをコンソレーションと呼ぶのも負けたグループということを忘れさせてくれてなかなか良い。ここではかろうじてハンガリーの女性を負かす ことができたためにここでの最下位はまぬかれた。 試合前に夢見た上位進出は誤算過ぎたが、はるかドイツにまで来て最下位の屈辱は避けたい。やっと負けてくれたハンガリー人に心から感謝して歩いていると、なにやらひとつのテーブルの周りを囲んで黒山の人だかりが見える(選手はどちらもヨーロッパ系女性でブロンドの髪だったから黒山ではなく金山が正しい)。 人だかりの大きさからかなり大変な問題が起きたらしい。比較的シンプルなスポーツである卓球の大会でこんな人だかりを見たのははじめてなので急遽野次馬に転向し、そのあたりにいた日本人に何が起こったのか聞いてみる。 彼女はその問題のテーブルで審判している日本人の知り合いなので、事情を知っていた。 何でもドイツ人の選手のサービスがネットをかすったので日本人の審判がレットを表明したのだが、そのときすでに勝ちポイントを上げていたドイツ人は今のは レットではない、と言い張ったということが揉め事の発端らしい。野球などでも時々選手や監督が審判に抗議するのを見るが、先の審判を翻すところは見たこと がない。卓球は速いスポーツなのでレット表明を早くしないとポイントが終わってしまうこともあるだろうが、最後は審判の言うことを聞かなかったらいったい どこに審判の意味があるのかと日本人の私は思う。 だがドイツのような他国と地続きの国で譲り合いの精神など適用したら生きていけないのかもしれない。 おとなしい日本人審判はドイツ人の剣幕に押され、どうしていいかわからないという様子で身動きが取れないでこまっている時、揉め事対処委員会のような人が やってきて事情を聞いた結果、審判の言うことに従うのが当然、とあっけなく判断を下した。問題のシーンをビデオで再現できるならともかく、それがないんだ からあたりまえだろうな。 こんなことでこんなに人だかりするのもベテランズ大会の特色かも知れない。直ちに試合は再開され、私もあとはホテルに戻るだけとひまがあったので問題の試合を最後まで見ることにした。相手はイギリス人である。 このドイツ人の気の強さはイギリスがおそれた第2次世界大戦前後のドイツの潜水艦Uボートのようだ。 それを迎え撃つおされ気味のイギリス人。 かなりの接戦で、応援する人たちも応酬するラリーを見守っている。 最終セットの中盤、ドイツ人の強打がネットを潜って相手テーブルに着地した。 そしてその時日本人審判がドイツ人にポイントを与えたのである。 一瞬の出来事で、よく見ていないとボールがネットの上を通ったのか、下を通ったのかわからないときが時々あるが、私はその瞬間を確かに見たし、見ていた多 くのイギリス人も下を通ったと審判に抗議した。このとき同じように見ていたドイツ人選手およびその応援グループは石のように静まり返っていた。 あいにくその瞬間を見逃し、先ほどの揉め事で強く主張しなかったことを大いに後悔した日本人審判はイギリス人の抗議を一蹴し、ドイツ人へのポイントを変え なかった。 第2次大戦の日独同盟の手前、当然な動きかもしれない。 イギリス側は納得できずになおも抗議しつづけたが、審判の言葉にしぶしぶ従い、試合 は続行された。 そして接戦ではあったが結局イギリス人が勝った。 頭に来たイギリス人の怒りが勝利につながったともいえるが、あの時もらってはいけない1点をもらったドイツ人の良心の呵責が相手に隙を与えたからではないかと私は思う。いずれにせよ連合国のイギリスが勝って理由もなくホッとした。 次は3年前のベテラン大会の様子を紹介したいと思います。ドイツでのベテランズ大会はうれしかった。ドイツはもちろん、ヨーロッパは私にとって初めてだったからだ。こじんまりしたホテル、こじんまりした町のたたずまい、こじんまりしたスーパーマーケット。アメリカの粗雑で大きい町や店構えに比べるとすべてが一回り小さく、日本の町を思い出させた。人の数を減らした日本みたいだった。   ブレーメンの駅 2日間のシングルスのあと中1日休み、ダブルスが行われた。 ベテランズ大会で入賞を目指すか、気の知れたパートナーを持つ人は別だが、それ以外の人はダブルスの相手は主催者側に決めてもらうのが楽しい。たいていの 場合外国人をあてがってくれるのでたった2日間だが外国人とお友達になれるのだ。これもベテランズ大会の大きな魅力に是非加えたい。 スケジュール表では私のダブルスのパートナーがドイツ人になっていたのでワクワクした。ところが所定の時間にテーブルに行ってもそのドイツ人はなかなか来ない。しばらくすると主催者側がやってきて、彼女は家に帰ったという。家に帰ったってどういうことなのか? 問いただしても「家に帰った」としか言わず、埒があかないので会場の真中に備えられた事務所のようなところに駆け込み、大変な剣幕(になっていたと思う)で私のパートナーはどこだッと叫んだ。 高い金を払って遠いドイツまで来てるのにパートナーが帰ったからあなたはプレーできないなんてどんな顔して言えるんだ?えッ?このあたりで私は地を隠せないほど怒り狂っていた。第3次大戦も辞さないほど怒っていた。第2次大戦で日本とドイツは同盟国だったけどアメリカとドイツは敵対していたからこの場合はアメリカの住民として戦う以外にない。 だがたった今第3次大戦が起きたとしてもぜんぜん騒がずコーヒーで一息つけ、それから何が起きたのか考えそうなタイプのドイツ人男性が「ちょっと待ってネ。調べてみるから」とのんきなことを言う。そんな場合ではないではないかッ。もうすでにダブルスが始まってるというのにーッ。私の剣幕にほとんど反応を見せないきわめて冷静な彼にもすでにダブルスが始まった今となっては代わりのパートナーを探すことなど不可能なはずだ。 この期に及んではあんたが私のパートナーになる以外に方法はない、と詰め寄ろうとしたとき、ドアをあけて誰かが入ってくるのが見えた。しょんぼりした顔で「私のパートナーがいなくなった」というような意味のことを言っている。 私は思わず「あなたもパートナーいないの?」と問いただすと確かにそうだと言う。 こんなタイミングのいい話ってあるのだろうか? 彼女は誰かに頼まれてすごい剣幕の私をなだめるためにパートナーになりに来てくれたのではないかと思ったくらいだ。 一瞬「塞翁が馬」という言葉が頭をかすめた。 どちらにしても彼女にはパートナーはおらず、私はパートナーを探している。 私はすぐに彼女を冷静ドイツ男のところまで引っ張っていき、「この人とパートナーになっていいでしょ?」といきなり結婚相手を親に紹介するわがまま娘のように強引に引き合わせた。もとより冷静ドイツ男に文句のあるはずもない。 ウクライナから来たという新パートナーと一緒にテーブルに走っていくと、人数が足らないので我々を待っていた選手たちは快く迎えてくれた。やれやれだ。 英語がまったくといってもいいほどしゃべれないウクライナ人の私の新パートナーと、ロシア語など、ハラショーとボルシチくらいしか知らないわたしは練習の 暇も無くいきなり試合に望むことになったが、一時は参加も危ぶまれただけに、こうしてパートナーができて試合に参加できるだけでもありがたいと思いながら プレーしたことが良かったのか、誰にも勝つことを期待されなかったのが良かったのか、とにかく我々は1勝してしまった。 シングルでは勝つ予定なのに負けてしまったが、今日のダブルスでは勝つ予定では無かったのに勝ったという予想を大きく裏切った結果だ。まったく勝負はわからない。 もちろん1勝では我々は上位につけることはできないのでその日の午後に行われるコンソレーションに進む。コンソレーションを辞書で引くと敗者復活戦だが、 辞書を引かなければ何のことかわからず、なんとなく安室なみえの歌う「セレブレーション(お祝い)」にも似ているので負けたことなどすっかり忘れることが できるから不思議だ。 まるで勝ち進んで2回戦に行くような気分にさえなってくる。この言葉が気に入ってベテランズ大会に参加しつづけるという人も入るかもしれない(いないかな?)。 1時からそのコンソレーションが行われるのをパートナーと一緒に確認し、「じゃあ1時に又がんばろうね」とガッツポーズで別れる。   1時までは2時間ほどあるが、試合を控えているので食事は控えたほうがいいだろう。会場では常に試合が行われているので、時間まで面白そうな試合を見て過ごすことにした。 確か元世界チャンピオンの伊藤繁雄氏も参加しているように聞いたので廊下に張り出されたスケジュール表をチェックし、うまい具合に日本の誇り、元世界チャンピオンの試合観戦が実現した。そこではテレビの「笑点」に出てくる落語家選手も応援しており、有名人をいっぺんにたくさん間近で見れてさらにワクワクした。これもベテランズ大会のご利益というものだ。 ドイツで見かけた超小型で3輪車でサン ルーフの付いたBMW 卓球名門国スウェーデンのワルドナーの少し前に活躍したアップルグレンも参加しているはずなのでこれも見逃したくない。 伊藤氏はチャンピオン時代の写真を見たことがあるが、こうして肉眼で間近に見るのは初めてである。かなり髪が若い頃に比べて薄くなっているのを除けば、ほとんど昔と同じ目、同じ顔、同じ体格だった。おなかが出ていないところが立派だと思った。 豪快なフォアハンドで相手を軽く負かした彼の試合を見終わって他に面白そうな試合を探していると、先日シングルスで対戦した日本人選手に呼び止められた。バッグから何かを出して、私に差し出した。丸いプラスティック容器に入った水羊羹だ。対戦時に時間がなかったので今渡したいという。饅頭系に目がない私は 居住地のアメリカではいつも渇望し、めったに食べる機会に恵まれないのに、日本からさらに遠いこのドイツで水羊羹にめぐり合えるなんていったい誰が想像で きるだろう。これは私が彼女に負けたのを慰めるための厚意というわけではなく、対戦相手との交流を深める意味でのプレゼント交換という習慣に倣ったも のである。 初めて参加した横浜の大会で、そのことについてまったく知らなかった私は、対戦相手が試合前に何かを配っているのを、いったい何をしているのかといぶかったことを昨日のように思いだす。私にも配られたので日本人選手にこのことを聞くと、ベテランズ大会では簡単なプレゼントを交換しあうのが慣わし、と教えてくれた。私は何も渡すことができなかったが、誰もそのことに文句も言わず、インド人対戦者からは何かの実(多分)でできたネックレスをもらい、日本人対戦者からは 携帯目覚まし時計をもらい、マレーシア人パートナーからは国の名前が入ったペナント(多分)をもらって交流の度合いがいっそう深まった気分になった。誰の考案なのか、このプレゼント交換は各国選手の交流を深めるために大いに役立っていることを考案者に是非お知らせしたい。 ではどんなプレゼントが好ましいか? ①値段が張ないもの:高いお金を払って参加するのだからさらにこのために経済的負担になるようなことは避けたい。もちろんデジタルカメラや時計など、高価なものもいただく分には一向に差し支えないので喜んでいただく。 ②嵩の低いもの:開催国の住民以外は旅行バッグに最低必要なものだけを詰め込んできているはずなのでいくら素敵でもバスタオルとか何百ページもある国の案内書などは渡す方ももらう方も困るはずだ。 ③食べるものは意外とOK:食べるものはそれぞれの国により好みが大きく違うので避けるべき、と思っていたが、水羊羹をもらってからは大いに結構と考えるようになった。 水羊羹がヨーロッパ人にどの程度受け入れられるか皆目検討がつかないが、確かフランスにも羊羹の「とらや」が店を構えていると聞いたので問題がないと思う。なんなら彼女のバッグの残りの水羊羹すべてを引き受けてもいい。 このブレーメン大会では1日目のシングルスが始まる前に配るのをうっかり忘れ、試合が終わった時は勝つ予定だった相手にことごとく負かされてしまったために気分すこぶる悪く、プレゼントどころではなかったことを私は思い出した。だからそのとき水羊羹をくれた彼女に私も用意していたプレゼントをあわてて差し出した。プレゼント交換は試合前にするのが望ましい。なぜなら試合の後では負けた人は怒り狂うか意気消沈して交流なんかくそくらえ!という気分になるからだ。この教訓を是非次のベテランズ大会に生かさなければならないと思う。 ちなみに私が持参したプレゼントはブッシュ大統領とクリントン前大統領の写真が入ったおもちゃの紙幣で、おもちゃとはいえ本物に迫る質で、嵩も低いし最 適、と思ったのだが、ヨーロッパにはイラク戦争をはじめたブッシュを嫌う人が多いらしいので少しでも政治のにおいのするものは良くないと同行の夫に言わ れ、配りにくくなった。これは今回の教訓にすることで許してもらおう。次はM&Mチョコレートにするからね。 もらった水羊羹は早速賞味することにした。うまい具合に1980年代に活躍し、世界選手権でも優勝したアップルグレンの試合が始まりそうなので水羊羹を手に眺めのいい観戦場所の確保に急いだ。彼はこの大会でも一番の人気で、多くの人たちが彼の試合の周りを囲んだ。一緒に写真をとりたがり、サインを頼む人たちも多いので試合はなかなか始まらなかったが、誰も文句ひとつ言わず辛抱強く待っている。 彼は横浜大会にも参加し、優勝したと思うが、その時私は彼を知らなかった。そのときもたくさんの人が彼の試合を人目見ようと押しかけていたようで、女性からは「かわいい」、「素敵」などの言葉が聞こえてきていたが、彼を知らなかった私は「どこが?」と不思議に思ったのを覚えている。その後、彼が80年代に世界選手権シングルスで優勝した時の試合ビデオを見たとき、どんなスマッシュも後方から打ち返す彼の軽くカーブしたショートヘアーを確かにかわいいと思った。 いよいよダブルスの次の試合の時間が近づいてきたので指定のテーブルに向かった。相手の日本人選手はすでに待っており、時間を見ると1時を少し過ぎていた。   私のパートナーがまだ姿を見せないのでしばらく練習をしたが、20分してもまだこないので相手選手は不戦勝にしてほしいと言い出す。 私はもう来るから後少し待ってほしいと頼み込んで後10分ほど待ってもらったが、いったいどうしたのか、彼女の影も形も見えない。相手チームはついに痺れを切らし、近くにいた試合運営管理人(のような人)にその旨を伝え、さっさと引き上げていった。 残された私は、戦わずして最後の試合が終わり、唖然としているうちに全試合が終了ということなった。実にあっけない結末となったが、一時はパートナー もなく1戦もせずに終わっていたかも知れないことを考えるとここまでこれただけでもありがたい、と考えるべきだろう。でもいったい彼女はどこに消えてし まったのか?いまだに謎である。最後の日は全種目の準決勝から決勝までが行われたので観戦した。 アップルグレンは準決勝でイギリス人に負けるという番狂わせがあったが、見ごたえのある試合で、こういうレベルもこのベテランズ大会にはあるのが救いだ。人に説明するときに、こういうレベルに特に力を入れてベテランズ大会の参加選手全員がうまいかのような印象をあたえるようにもっていくことにしよう。 そんなレベルの大会にそんなレベルのあなたがどうやって参加できたの?などと質問するやつがいたらすぐさま話題を変えてもよい。 実はこのベテランズ大会は誰でも参加できるので下手な私も腰痛と老眼に苦しみながらも参加を果たすことができたことを白状しよう。 今では次の大会のために練習と貯金にこれ励むことが熟年を迎えた私の大きな楽しみになってしまった。 フミ クリステンセン 2006-07-01 00:00:00 Vol.7 イギリス ハンフリーいく江さん http:///travelbook/item/344.html はじめまして!昨年より渡英し、卓球発祥の地、イギリスのロンドンにて卓球にはまっているハンフリーいく江と申します。ロンドンで卓球をする輪を広めたいと思い、みなさんにロンドンの卓球事情などについてお便りを送ります。 私はロンドンでLondon Progress Table Tennis clubというクラブチームに所属しています。このチームはロンドンでもレベルの高いクラブチーム。私は毎週木曜日、仕事帰り練習に励んでいます。 年齢、国籍も様々で、地域のクラブチームにてみなさん熱心に練習&試合をしています。 ここには私の他にも日本人の廣田さんという男性が所属しています。彼は非常に強く、チームでもトップレベルのBritishリーグプレイヤーなんです。 今年は私もBritishリーグに参戦予定。頑張りますよ~! Britishリーグとはプレミア、1部、2部、3部に分かれていて、各レベル9チーム内でのリーグ戦。内容は4人団体の8シングル戦、1試合に一人2回 シングル戦をします。それを1チームに対し2回戦おこなうので、全部で、一人2シングルx8チームx2回=32試合行うのです。 期間は約3ヶ月間、ロンドンだけではなく、イギリス全土なので遠征ありとなかなか面白そうです。 先日「London Table Tennis Chanpionship」という大会に廣田さんと出場しました。 女子シングルスの結果は予選リーグを2位で通過し、決勝トーナメントのセミファイナルで負けたので、ベスト4。 準決勝でのTong Feiming(童 飛鳴:写真中央)との戦いは、8-11、0-11,0-11というダブルスコンクで負けるという醜態をさらしま したが。。。彼女は元オリンピック選手、1996年度の世界ランク7位、アトランタオリンピックのセミファイナリストなので、よい経験をしたなと自分に言 い聞かせています(笑) 彼女も同じLondon Progressのコーチなので指導を受けることも可能。来週早速コーチィングを受ける予定です!! 廣田さんと出場したミックスダブルスですが、1回戦から中国人プロ選手の組に当たり撃沈してしまいました。 彼らも非常に強く今回は組み合わせに泣かされた試合でした。 イギリスでは2012年のオリンピックが控えていることもあり、スポーツに力を入れ始めているようです。ロンドンに来る前ははたして卓球している人はいる のか!?と不安でしたが、やはり生涯スポーツ。卓球は世界中で老若男女問わず人気のスポーツですね!! イギリスにこられる際は是非我がチームにご参加ください!! ハンフリーいく江 2006-01-01 00:00:00 Vol.6 アメリカ 大柿柴保さん http:///travelbook/item/343.html 元全日本ダブルスチャンピオン 大柿柴保さんのアメリカホームステイと卓球の旅日記! アメリカ カリフォルニア州サンタローザにて ホームステイと卓球の旅 8月2日(月) UA852便にて16;10分発の飛行機で無事同日9;10にサンフランシスコ空港到着。到着後、ソノマ(郡)行きのバスに乗り、一路サンタローザへ。外は曇りで16℃。半袖だったが耐えられず上から一枚はおる。持ってきてよかった。ドライバー(これまたたくましい女性で元気がいい)にはサンタローザのダウンタウンに行きたいと伝えってあったので安心して乗車していた。と思いきや、サンタローザのダウンタウンが遠ざかってゆくー。次はソノマ空港に停車するというのではないか。少し前にサンタローザのデイズ・インホテルに停車したのだが、サンタローザではそこにしか止まらないそうだ。ウッ、油断していた。そこで、私の世話をしてくれているふみさんに電話をかけ(ふみさんはサンタローザのダウンタウン停留所で待機してくれていた)迎えに来てもらってしまった。来た早々やってしまった・・・。 その後、私がボランティアを務める老人ホーム(3軒)の場所の確認と、寒いのでトレーナーを買いに古着屋へ行った。古着屋では3ドルのトレーナーを2枚購入。安くてラッキー。そうそう、私は今回所持金が極めて少ないため、ここでは1日10ドル~15ドル生活を試みている。さて、私のホストファミリーはどんな人か、どんな家か楽しみだ。午後4時に家に行ったらご主人のdanisが迎えてくれた。背が高く、優しそうな顔立ちの方だ。部屋も(えっ?こんなに広い部屋いいの?)というくらい広くて快適だ。部屋の中には自分専用のテレビと電話がある。ベッドも大きいし、私が今まで東京で暮らしてきた部屋よりも遥かに広い!しかも私の部屋の隣が広い裏庭。10人~20人でここでバーベキューできちゃう!素敵なアメリカ生活の始まり!と、胸が弾むばかり。 それからこの家にはちょっと大きめの犬がいます。名前は『ランピー』。最初は怖かったけど絶対にかまないし、慣れてくると結構かわいい。これは何犬だろ?ラブラドールかしら?ご主人の『DANIS』は「禅=ZEN」にはまっているそう。日本が大好きで、裏庭には仏像らしきものや庭には日本のランプが置いてあります。家の中にも日本人形や禅に関する本が・・・。そのdanisの奥様は『KAREN』。まるで女優さんのように綺麗な方です。60歳前後だというのに今や美しさは健在です。先ほどkarenと話したら彼女はカウンセラーだそうで、仕事が好きだと言っていました。素敵! それから、もう1人。この家に2年間も滞在していた日本人の『なおちゃん』がいます。名古屋出身で8月8日で22歳。アメリカに来て7年目?彼女は日本の高校に進学せずこちらの学校に来ちゃったというんだから、相当アメリカに興味があったよう。こっちに来て彼女には本当に助けてもらっちゃっています。それに遊びにもいってます!彼女は23日にはバークレーに引っ越します。カリフォルニア大学のバークレー校に進学するんです。新しい門出に乾杯! 夜は7時にふみさんが迎えに来てくれました。ふみさんは私のお世話をしてくださってる本当に素敵な方です。ユーレックスのホームページにもお便りをくださっています。 卓球が大好きな方で先日は「死ぬなら卓球をやっている時に死にたい。そしたら幸せやわ~」と関西弁で話していました。卓球がふみさんとめぐり合わせてくれました。先日の横浜での世界ベテラン大会に参加したふみさんはやはりアノ大会にはまってしまったらしく、2年後ドイツ行こうかな、とこぼしていました。ふみさんが強くなるように、私がここにいる間は是非ふみさんの技術面の指導をさせて下さい! さて、santarosaの体育館に着くやいなや、もう人がいっぱい。私は時差ボケで眠くて眠くて半分ボケてましたが、なんとか必死に3勝。しばらく卓球やっていないのに、勝負になると勝ちたくてたまらない。気持ちと技術がかみ合わなくイライラしっぱなしですが、やっぱり汗をかくのは気持ちいい。9時には体育館を出たのですが、まだ遠い空が明るいんです。こちらの日没は9時前後。 星がキラキラ光り輝き始めるころ、私は体育館を後にし、ホストファミリーの待つ家に帰ったのでした。この日はまるで2日間あったようなもんなので、言うまでもなく、シャワーを浴びたらバタンキューでございました。 大柿柴保 2005-06-02 00:00:00 Vol.5 ベルギー 末次さん http:///travelbook/item/342.html ピンポン 77年田川が現在の店舗に移転することになり新店舗のオープニングに合わせて赴任致しましたのでベルギーに住んで18年ということになります。この間色々なことがございました。その中の一つに自分自身の青春(卓球)との再会があります。私の学生時代は卓球で明け暮れておりました。板前という仕事に就いてからは何時しか忘れて時折思い出す程度の事でしたが、偶然にも卓球と再会し、プレーは殆ど致しておりませんが、(ゴルフばかりでとても昔のようには体がついていかないというのが本音ですが)今も卓球と関わりをもっている中から稚拙な文で はございますが書いてみようと存じます。   卓球と私 私と卓球との出会いは小学校5年生の時に公会堂で見た世界選手権の記録映画でした。日本が7種目中5種目で優勝という輝かしいもので子供心に興奮し、帰宅 してすぐ母にラケットを買って欲しいとせがんだのを朧気ながら覚えております。しかし長崎での出来事がなければきっと途中でラケットは棚の奥で眠っていた 事と思います。 卓球との再会 1986年3月リエージュで行われたベルギーオープン参加の為、男女高校生から社会人までの混成チームが来白し、日本人会主催の歓迎会が田川で開かれました。その 時の総監督が学生の頃私の最も憧れた専修大学キャプテン根性野平と異名を持った野平孝雄氏で、当時の思い出に話が弾み滞白中の数日間お世話をさせていただきました。 この時がきっかけで高校卒業と同時に調理の世界に入り途切れていた私と卓球との関わりが違う形で20数年ぶりに再会致しました。毎日差し入れしたおにぎりやカレーライスが少しは効果があったのかこのベルギーオープンでは8年ぶりの好成績をあげました。 その後年に何組か卓球関係の方が来白される際に行き届かないながらお世話をさせて頂いておりました。来白された折お世話をさせて頂いた野平氏始め数人の委員の方々が92年秋の理事総会に海外居住者では2人目の国際交流委員にと私を推薦してくださったようです。野平氏より「末次君こういうことになってしまっ たからよろしく」と国際電話があり事後承諾の形でしたが卓球とは少し深く関わることになりました。 以後、高校生チームを中心に多くのチームがこのブリュッセルで数日の時差調整と最後の練習をこなしてから試合のある場所に移動するのが慣例化してまいりました。若い力特 に高校生チームのお世話は楽しんでさせていただいております。今日本のレベルは世界でベスト8に入りますが、連戦連勝を重ねていた60年後の実績からする と長い低迷を続けています。1~2年の単位では世界のベスト3のレベルに戻すのは無理なように思えます。此処数年協会の世界レベルの試合での選手選考の考え方は、日本のトップレベルの選手は個人戦にエントリーさせ団体戦は高校生も含むこれからの選手をも選んでいます。お世話させて頂いた若いメンバーが活躍してくれると本当に嬉しくなります。この嬉しさは協会その他の関係者の方々からの私のベルギーでの活動に対する唯一のプレゼントで、この楽しみがあるから こそ続けられるのだと思っています。 若手といえば昨年9月シャルルロワ市で行われた第10回世界学生選手権で男子団体優勝を始め7種目中3種目で3位以上の入賞を果たしました。世界と冠のある大会では久しぶりの優勝でしたので朝日新聞紙上にもニュースとして扱われましたのでご記憶の方もあるかと思います。 最近の試合ぶりを見ていると若い選手が大きな試合にも臆することもなく普段の実力以上のプレーをし周囲を驚かせることもしばしばあります。例えば世界ラン キング1位の選手と3回対戦し3回共勝っている選手もおります。この選手は勝った3試合がポイントとなり世界ランキング23位と日本選手としては上位にラ ンクされています。もしかすると期待できるようになったのは最近の明るい材料と言えます。 欧州卓球事情 卓球はアジア、中国が群を抜いて世界に君臨していると思っている方が多くおいでのことと思います。ところが80年前後から本場欧州勢が頑張っています。今や 中国ですら世界のベスト3に入るのは大変です。特にスウェーデン、フランス、ドイツそしてベルギーがアジア勢の前に大きく立ちはだかっています。層の厚さ ではスウェーデン、安定度ではフランス、この両国をドイツとベルギーが追う形です。しかし個人戦となるとリエージュ出身でシャルルロワ市のクラブチームに 所属するベルギー人「ジャンミ」ことジャン・ミッシェル・セイブがここ2年以上も世界ランク上位を保っています。また、弟のフィリップ・セイブも上位を 保っており、他にも数人が上位にランクされており個人戦では世界のトップレベルと言えます。(団体戦になぜ弱いのかが不思議です。)欧州勢の現在の活躍は30年前にある日本人が植えた苗が大きく育った結果と欧州の卓球関係者の多くが認めるところです。 昨年63歳で惜しまれながら故人となられた前国際卓球連盟会長でオリンピック評議会のメンバーも勤めておられた荻村伊智朗氏がその人です。氏は選手とし ての現役を退かれた後スウェーデンに渡り3年近く文字通り手弁当無報酬で大小を問わず国中のクラブで攻撃型近代卓球を説き、また指導にあたられました。氏 は「日本、中国、韓国、台湾と力を伸ばし卓球はアジアのものと思われていたが、本場欧州が強くなくてはいずれのスポーツも衰退してしまう。本場に乗り込ん で教えるなど傲慢と言われても新しい卓球を欧州に植えつける必要があると思った」とグランプラスのカフェで好物のワインを飲みながら私にも話してください ました。今でもスウェーデンではどのクラブにも必ず氏の写真飾られ敬愛されています。「この国では日本人で一番知名度があるのはオギムラだ」とヨーテボリ で開かれた世界選手権の折、会場前から載ったタクシーの運転手に言われた時に感激したのを思い出します。北国スウェーデンで目が出てやがて育った新しい卓 球が他の欧州の国々にも広まり現在に至っているのだと思います。 氏は「ピンポン外交」という言葉が今も残る程各国の交流に尽くされ、韓国の南北統一チームを他のスポーツに先んじて実現されたり、昨年東京で行われた地球 ユース大会ではパレスチナとイスラエルの選手が一緒に選手宣誓をするなど、スポーツを通して少しでも世界平和に貢献する事もスポーツマンの義務の一つであ ると強く考えられておられ、韓国の南北統一チーム実現には既に自覚症状のあった癌と戦いながら十数度も三国間を往復されました。癌に倒れ病の床に伏してか らも何とか次の世界選手権はサラエボで開催したいと思案しておられたとのことです。 氏のこうした活動にスタンドプレーという批判もありましたが、オリンピック委員会会長のサマランチ氏をして「私は今月、私の片腕であり友であり、スポーツを以て世界平和実現の為に戦う戦友を失った」と言わしめました。   日本卓球界は 世界のスポーツ界の趣勢はご存知のようにプロ化へと進んでおります。クラブチーム主体の欧州では卓球も例外ではなく、年間1億円以上の収入を得る選手も何人 かおります。ドイツやフランスではプロのツアーもあると聞きます。多くの選手は充分とは言えないまでも生活が保証され練習や試合に打ち込める環境がありま す。学校や企業が主体の日本では学業や仕事との両立に多かれ少なかれ殆どの選手や役員が悩んでおります。現在の日本のスポーツ界はその学校や企業の後援が なくては活動していけないことも事実です。こうした環境の差が現在の日本と諸国との差と言える部分も少なからずあるように思われます。 徐々にではありますが、日本でもクラブチームができ始めたり、プロ宣言する選手が出てきたり変化が現れてきています。また、現在協会では諸国の選手と会話 が通じるように選手に対する英語教育等も考えているようです。遅まきながら、世界に通用する選手は国際人としても通用しなければならないということでしょ うか。 最後に 恵まれた環境にあると書きましたが、又多くの例外もあります。戦火の残る国々の選手達です。ボスニア、クロアチア、セルビヤやアフリカ、アラブの国々にも多 くの選手がおりますが、練習はおろか、殆どのクラブは解散状態で外国に逃れて暮らす選手達も多くいます。ベルギーのクラブチームに身を寄せているボスニアのある選手は「自分達の家族が国外に避難する時に手助けしてくれたクラブの仲間が別れて数日後に戦火に巻き込まれて死んだ」と涙を流しながら言いました。 私の母は広島で被爆しており何度かその悲惨な体験を聞いております。母の被爆は幸いにも軽かったのですが、そのことにより原因不明の高熱が数日続き心配することもしばしばありました。その当時、私は50年も前の戦争が母の身体の中では未だ終わっていないのだと実感させられました。早く全ての戦火が収まり多くの国々の選手が弾丸の撃ち合いではなく、汗を飛ばし白球を打ち合う平和な大会が見たいものと願って止みません。その時に日本とベルギーの優勝争いであれば(ベルギーを第2の故郷と思っている私はどちらを応援しようか迷うでしょうが)これに勝る喜びはありません。少し時間のかかる夢かもしれませんが、実現に希望を抱いている今日この頃です。そして、これからも微力ながら来欧される選手達が少しでも気持ちよくプレーできるようお手伝いをさせて頂こうと思って おります。 2005-05-01 00:00:00 Vol.4 フランス ジュリーさくらさん http:///travelbook/item/341.html 4月24日はヨーロピアンクラブカップの決勝の日(ルバロワ VS ドュッセルドルフ)でした。試合としてはゴー&バック形式で今回の試合の後もう一度相手側の場所で試合をするのですが、今回は御当地、ルバロワでの試合です。 勿論私も応援に行きました。折しも復活祭休み最後の土曜日で、何週間も前から町中にポスターが貼られていただけに会場は満員!でも、なんか結構ドイツから も応援が来ているみたいです。負けずに頑張って応援しなくては。こういう時にルバロワクラ ブに所属する大勢の人たちが力を発揮するんです。 そして、ジャーン!試合結果。 エロワ × モリン   3-0 ガシアン × マーズ   3-2 ルグー  × アイスター 3-2 なんと、ルバロワが3-0で圧勝に!!会場は割れるような拍手で盛り上がりました。 後で私のコーチでもあるマルセル・エルバーズさんに「疲れましたか?」って、声をかけたら、「それは、勿論疲れているけど勝った時の疲れはなんでもないよ。」だって。選手達もそれはそれは幸せそうな一時でした。 来週、5月2日はドュッセルドルフでの試合。私も自分の試合がなかったら応援に行くのになー。ちなみにルバロワから応援ツアーが予定されていて、バスで往復、20ユーロだそうです。クラブの会員の人達がかなり申し込んでいたみたい。来週も熱い戦いになりそうです!アレー!アレー!ルバロワ!! ジュリーさくら 2005-04-26 00:00:00 Vol.3 フランス ジュリーさくらさん http:///travelbook/item/340.html こんにちは。私はフランスはパリ郊外(といってもパリのまん中まで地下鉄で15分!)の町、ルバロワ市で卓球をしている小学校5年生の日仏ハーフの女の子です。 さて、日本の皆さんは日本と違ってフランスではスポーツの全般がクラブスポーツだという事、御存じでしたか?日本では学校にクラブ活動というのがあっ て、みんなそこでスポーツをやっているという話しを聞いた事があるけれど、こちらはそういう部活動が学校内にはありません。卓球でも、サッカーでも、柔道 でも、各町が所有するスポーツクラブにそれぞれ登録し、それぞれの活動をしているんです。 私の所属するルバロワ卓球クラブもその一つ。現在会員数は450名。その中には下はベビークラス(クラブポンポン)の4才のおちびちゃん達から、上は スーパーディヴィジオンチームのガシアン選手、ルグー選手、エロワ選手も在籍しています。ちなみにこの間(ラヴァル市3月25日-28日)のフランス選手 権ではエロワ選手が優勝したんだよ!(ちなみに彼にとって初めてフランスチャンピオンのタイトル獲得でした) もともと私の住む町はとてもスポーツが盛んな町で、その他のスポーツ(柔道、フェンシング、ボクシングなど)でもかなりのオリンピックメダリストを出し ているんです。そういう意味でこの町に住む子どもは小さい頃からいい環境の元でスポーツを学べていると思います。 私もルバロワで試合が行われる日には次の日に学校があっても頑張ってクラブの友だちと応援に行きます。クラブの人達みんな、大人も子どもも一緒に大きな声 で応援するのはとっても楽しい。それにその選手達が自分が練習している場所で同じように練習しているなんてちょっぴり素敵だと思いませんか?そんな私のク ラブの事、そしてフランスの卓球システム、最近あった話題を私、ジュリーがフランスよりお届けします。 ジュリー・さくら 2005-04-02 00:00:00 Vol.2 アメリカ フミ・クリステンセンさん http:///travelbook/item/339.html カリフォルニアワインではナパが有名ですが、それに劣らずアメリカ国内で人気があるのはナパ郡のとなりのソノマ郡。 私が毎週月曜の夜に通うサンタローザ卓球クラブはソノマ郡の中にあります。  メンバーは累計60人ほどですが、常時プレーするのは20人前後で、半分くらいが初心者かそれに近いプレーヤーで、後の半分が中級、上級者です。 日本の卓球クラブ事情に比べてはっきり違うと思ったことが2つあります。 一つは、こちらのプレーヤーは基礎練習をしないのです。 その日のメンバーにより、3つか4つのレベル別グループに分けられ、そのグループ内で少しウォームアップ練習のあと、総当たり戦をするのです。 基礎がしっかりしていないとどんなスポーツでも力を伸ばすことが出来ない、という正論など考えたこともない人たちが殆どを占めており、ある日など、たまたま日本人の上級プレーヤーにフォア打ちの練習をしてもらっていたところ、それを見ていたクラブの一人に「フォアばかりで打ってるけどバックも混ぜて練習しないとバランスが良くない」と注意されてしまいました。 基礎練習なしのプレーヤーたちはそれならばたいしたことはなかろうと思うのですが、それが中々いろんな隠し技を持っており、油断できないのです。強打に次ぐ強打を素早く左右にかわしたり、見たこともないサービスで相手を翻弄することは朝飯前で、打ち合いの最中に右手のラケットを左に持ち替えたりする技は中級あたりの相手を威圧するのに便利な武器になって、中級の下あたりをさまよう私はいつも彼らの餌食になっています。でもさすがに基礎練習抜きで上級というのは無理な話のようですね。 もう一つは、大変国際色豊かなことです。いろんな国出身の人が集まっており、毎週が国際試合なのです。 中国人が数名、インド人も数名、最近では常連になっています。いつか、きれいなサリーを着用した彼らの奥様も同伴でプレーしていたのには少し感動しました。 時々ロシア人も参加し、のっそりした熊が素手で川に泳ぐ魚を簡単に掴むように、大柄な彼らは速球を打ち返すのです。 ギリシャ人も一人います。イタリア人だと思っていたのですが、名前は長ったらしく難しく、何度聞いても覚えられないので「アリ」と呼んでくれ、と言われました。でもなんとなくちゃんと名前を覚えられないのを咎められているような気がしたのでスペルを書いてくれと言ったら「Aristoteles」と書いたのです。エッ? あの哲学者と同じ名前? そう言うと、彼は照れたような不機嫌なような顔でそうだと答えました。イタリア人ならここでおもしろい冗談の一つも飛ばして笑わすところでしょうが、やっぱりギリシャ人は哲学的に少し人生の憂いを伴った返事になるのです。 そういえば彼は試合中もめったに笑顔を見せず、自分の凡ミスにも厳しく自分を戒めるような、哲学的な顔を見せます。その代りといってはなんですが、ボールに強いスピンをかけるのを得意とする彼が思い切り強いドライブ打ちをするとき、半ば開いた口がやや世俗的なところを見せてくれてホッとします。 ほかに半常連でドイツに住むイギリス人もいてメキシコ人、ポルトガル人もたまに参加したり、と今思い出すだけでも国際交流の名に恥じない顔ぶれです。 とはいってもアメリカ人は3分の2以上を占め、重いドライブを得意とするジム(写真左)は数少ない上級者の一人で、時々は1枚ラバーのカットマンに変換もできる特技の持ち主です。 日本人の奥様との間に7歳になる可愛い息子のアイバー(写真中)がおり、彼も時々ダディーと一緒にクラブでボール打ちを楽しんでいます。 このクラブの管理を引き受けてくれているサンタクロースのような体格と顔立ちのデイブ(写真右)は足を傷めたためフットワークということを一切せず、テーブルの真中からかなり的確でひん曲がったボールを相手に与えて恐れられています。近くの大学で卓球のクラスも教え、卓球の普及にひとかたならぬ貢献をしていただいているクラブの重要人物です。ついでに言うと、彼は囲碁のアマチュア5段の腕も持ち、退屈な生活を知らない人のようです。 このクラブの参加方法は、参加の度に4ドルを払えばOKです。最初は無料ですので皆さんの参加、お待ちしてます。 フミ クリステンセン 2005-03-02 00:00:00 Vol.1 アメリカ フミ・クリステンセンさん http:///travelbook/item/338.html はじめまして。 卓球人口の少ないアメリカで今卓球にハマッてるフミ クリステンセンです。 今から20年以上も前のこと、たまには卓球でもしてみたい、といろんな人に聞いてまわったことがありますが、皆口をそろえるように「知らない」と答え、中にはラケットボールと勘違いして「壁さえあればできるスポーツよね」と言う人さえいました。サッカーや野球、バスケットボールを観たたことがないという人はまずいないのと同じように卓球を観たことがある、という人もどうやら殆どいないようで、がっかりしたけどアメリカで卓球できると期待してたわけでもないのでそのうち忘れてしまったのです。 ところが今から18年ほど前のある日、「卓球する人探してます」、という新聞記事が目にとまり、連絡してみると、どうやら15歳になる息子さんが1年ほど前から家で卓球をはじめ、翌年あたりのオリンピック出場目指して合宿に参加しているが、そこは車で約2時間かかるので合宿が終わったら家で卓球する相手を探している、ということでした。私はびっくりしましたね。 初めて1年くらいしか経ってないのにオリンピック出場を近い目標の範囲内に持っていけるなんて日本ではまずないでしょうからね。ひょっとするとアメリカの卓球人口というのは10人くらいで、オリンピックに出場する選手の頭数さえちゃんと集っていないのかもしれないと思ったほどです。 丁度その日はその息子さんを週末休みのため合宿所まで迎えに行くところだったというので私も一緒に連れて行っていただきました。 着いたところは日本ではごく普通の、卓球台が10台ほどの卓球場でしたが、アメリカにも卓球場があったということが分かっただけでも収穫というものです。 オリンピック候補の息子さんの腕はというと、卓球をはじめて3年というおじいちゃんとの試合に夢中になり、しかも苦戦していたのですっかりチェックし忘れてしまいました。 その頃私の息子はまだ1歳足らず、「ちょっと行ってくるから留守番してるように」、というわけにいかない年齢のため、卓球はあれっきりになってしまいました。其の後、その息子さんがオリンピックチームに選ばれたという話も聞かないので選考されなかったようです、どうやら。 そして今から3年前、やっと、あの時小さかった息子も手が離れると、急に18年前に行った卓球場にもう一度行ってみたくなったのです。 一度しか行かなかったあの卓球場が、かれこれ15年間のブランクの間にも記憶として留まってくれており、50を過ぎて自分の意志とは関係なく目が衰え、腰が傷み、体力が激減していくのをなすすべもなく傍観していたある日、思い出したのです。あの時試合の相手をしてくれたおじいちゃんのバックハンドを返せなかったもどかしさ、負けたけど、アメリカ生活の今まで出したことのない大量の汗、ひょっとしたらそれらは若いときだけの特権ではないかもしれない、と思いついたのです。 あのときの卓球場はすでになくなっており、その代り卓球同好会の世話役という人に行き当たりました。彼は「来てくれてもいいけど、サンタローザ(私の住む町)にも2年程前に出来たから電話してみたら?」というではありませんか。 それ以来私はサンタローザの卓球クラブに殆ど毎月曜日、通っています。 そんなわけで、これからも時々お便りを書かせていただきますが、次は私が通う卓球クラブを紹介させていただきます。 ヨロシーク                                                                                      フミ クリステンセン   2005-03-01 00:00:00 RALLY TALK VOL.8 日本と中国の架け橋 平敷 真さん http:///travelbook/item/352.html Vol.8 日本と中国の架け橋 平敷 真さん 上海で「日本と中国が卓球を通して友好交流を行う」事を目的に活動をしている琉華商務諮詢(上海)有限公司の平敷真さん。チャイナエクスプレスと提携し、お子様からシニアの方まで既に約400名以上の方にご利用して頂いております。 参加者の中には、初心者から世界選手権に参加した選手までさまざまな方にご利用いただいております。 (参加される方のレベルがそれぞれ違うので、事前にレベルチェックをし上海での練習場所を決めております。 ) 上海では私たちが皆様のお手伝いを致します! Q 中国とのかかわりのきっかけは? 早稲田大学在学中に中国語の勉強を始めました。当時、一般的には英語を習得して一流企業にとなるところですが・・・。それは卓球と深い関わりがありがあるのです。私が卓球に興味を持ったのは、1950年代の後半、中学生の時でした。当時は荻村、田中の全盛時代で世界でも圧倒的強さを誇り、マスコミで「卓球日本」と持てはやされ、町のあちこちに卓球場があり、いつも愛好者で一杯でした。ですから私たちは卓球をすることに誇りを持っていました。そんな時「卓球日本」を打ち砕く衝撃的な事が起こりました。 1961年4月NHKラジオから「北京発共同電=第26回世界卓球選手権男子団体戦で荻村、木村、星野の日本チームは中国に破れ、世界選手権6連覇成らず。」というニュースが流れたのです。 まさか!?耳を疑いました。負けた!?中国に!?どうして!? 日中戦争、国民党との内戦に勝利し、1949年に新中国の建国を果たしたものの1956年の大飢饉、また1958年にソ連との友好関係に亀裂が生じ社会・経済の建設は行き詰まり状態であった中国。とてもスポーツなどに力を入れるゆとりは無いと思っていました。そんな国に何故負けたのだろう!?中国ってどういう国なのだろうと思いました。 新聞は敗因を「中国の前陣速攻打法に敗れた」と報じていましたが、日本にも前陣打法の選手はいましたので、私は新聞が報じる敗因について鵜呑みにはできませんでした。 日本チームを破った荘則棟、徐寅生、李富栄、張燮林の名前と同時に「中国」の二文字が私の心と脳裏にはっきりと刻み込まれました。このときから「中国卓球の解明」と「中国を知ること」が私のテーマになりました。 Q そのような出来事があり、中国で仕事をしようとお考えになったのですね? はい。せっかく学んだ中国語を役立て、中国に携わる仕事をしたいと考えました。しかし、私が卒業した1970年当時、日本にとっての中国は蒋介石の台湾政府であり、大陸の中華人民共和国に対しては敵視政策を取っていましたので、日中間に国交ははく、中国語を勉強しているというだけで警察にマークされ、私も危険分子としてブラックリストにのっていたようですし、中国に渡航することは一部の特定の友好商社や業界を除いては不可能な時代でした。 一般企業は中国への関心は非常に薄く、就職を断念しかけた折、大先輩であるK氏に日中貿易の専門商社を紹介していただき、チャンスを得ることができました。  Q 中国に駐在された始めの頃は卓球とまったく関わりがなかったと伺いました。 その通りです。訪中以来現在まで30数年間、中国との貿易に関わってきましたが、最初の10年ほどは仕事仕事で多忙な日々を送っていましたので「中国卓球の解明」の機会はまったくありませんでした。しかし、1985年5月のことです。当時、私は北京に駐在していました。「荻村です。昨日北京に来ました。明日壮則棟さんと面談するので通訳として同席してくださいませんか。明日3時に御社で落合いご一緒してください。」あまりにも突然の電話でした。"壮則棟と会う"まさに青天の霹靂です。 荻村さんは卓球人として神様のような憧れの人でしたが、ご自分でも貿易会社を経営され、中国貿易の関係では何度もお会いしていましたので、 荻村さんとお会いするだけなら別段緊張することもありませんでしたが、こと壮則棟さんとなると 一度もお会いしたこともありませんし、私にとって神様以上の存在で、全身が熱くなり、頭の中は真っ白になってしまったのです。 受話器を置いた後、私は放心状態、夜も興奮して殆ど眠れないまま翌日の会談に臨みました。自信に満ちた笑顔で 「荻村さんお久しぶりです。北京に戻ってきました。」と壮則棟さん。「お元気そうで何よりでした。 北京に戻られてよかったですね。」と荻村さん。 10数年ぶりの再開に二人は暫く固い握手。我が憧れの卓球人二人が固い握手を交わしながら、僅かに目を潤ませ旧交を温めている目を目の当たりにして、私は興奮と感動で胸がいっぱいになりました。この通訳の経験を通し、卓球会のみならず世界のスポーツ界の頂点を極められ、その名を残した偉人二人の再会、会談に同席することが出来、少しでも日中間の橋渡しになればと考えるようになりました。 Q 中国での合宿の仕事を始めてみて、日本の卓球について感じたことは まず、中国では基本の教え方が日本と異なっていると感じました。 例えば、荻村さんと壮則棟との会談で最も印象的だったのが壮則棟さんが『卓球は指の使い方と動かし方が大変重要です。特にボールのコントロールや打法は指の使い方が大切です』 と繰り返し強調していたことです。私達は卓球の打法において大切なのは腰のひねりや肩の使い方で、体全体でボールを打つと教わってきましたので、 壮則棟さんの指摘する指、手首の重要性については全く理解できませんでした。 その後、徐寅生さん、張林さん、季富栄さん等々往年の名選手にもお会いする機会に恵まれ『指』使い方の重要性が分かりましたし、1961年に日本チームを破った戦術も『指』が重要な働きをしたと理解することが出来ました。 Q 文化や言葉、習慣の違いで留学中のトラブルの多いことは? 中国は日本に比べて大らかなのかルーズなのか、ホテルや練習場の予約が取れていたのに直前にキャンセルされてしまうなど、今日「出来る」と行った事が明日には「出来ない」と言われてしまうことがよくあります。 また、食事面で日本よりも料理に使う油がきついので、合わない人はお腹をこわしたりします。その他、中国語が出来ないと病気や怪我をした場合や詐欺、ぼったくり被害にあった場合など緊急時のトラブルが多いですね。 そんな緊急時の対応や通訳を始め、練習中の現地コーチのアドバイスや、練習内容のリクエストなど 様々なサポートをさせていただき、参加者一人一人のレベルアップを考え満足していただける練習を していただけるよう努力しております。     中学生や高校生もお預かりしているので、学校や保護者の方へ安心していただけるよう、怪我や病気だけでなく、2年前のデモ騒動のような事件などに対しても、現地にて24時間対応し連絡体制を整えております。 Q 今後の目標・抱負は? 今後も日中間の卓球・語学・文化交流の為に貢献したいと願い、東京-上海を往ったり来たりします。 上海で皆さんとお会いできることを楽しみにしています。 どうもありがとうございました。 今後も益々のご活躍期待しています。 2005-02-02 00:00:00 RALLY TALK VOL.7 (財)日本卓球協会マスターズラージボール委員 石塚 健三郎さん http:///travelbook/item/351.html VOL.7 (財)日本卓球協会マスターズラージボール委員 石塚 健三郎さん ラージの普及に貢献されている国士舘大学講師の石塚さん。 国士舘大学講師 国士舘大学卓球部監督 東京卓球連盟常任理事 日本卓球協会マスターズラージボール委員 日本卓球協会公認上級コーチ 日本体育協会一級トレーナー 今回は2006年12月2日に上海で行われたラージボール講習&交流会での手ごたえなどをインタビュー! Q 中国での初めてのラージボール講習・交流会でしたが、上海での反響はいかがでしたか。  中国では40㎜の卓球が盛んなので、ある程度興味を示すのではないかと期待していました。しかし、実際にこちらに来て見ると、質、レベル、そして参加人数も予想を上回っていました。今回の講習会には、約60名の中国のプレイヤーが参加してくれました。年齢も様々で大学生から70歳のベテランプレイヤーまで、そして元中国ナショナルチームに所属していたプレイヤーも初めてのラージボールに戸惑いながらもラリーが続く楽しさを感じてくれたようです。 午前中に講習会とゲーム練習をし、午後レベル別に総当りの試合をしました。初めてラージボールを打つのに、とても上手な人もいました。1回目は日本側がほぼ勝ちましたが、2回、3回と試合をしていくうちに、試合に勝つ人もでてきて驚きました。 そしてアドバイスの吸収力がとても早く、ラバーの違いやラージの特徴にすぐに気付き、習得力がとても早いと思いました。   上海でラージボールの講習をする石塚さん Q 今までのラージの国際大会と比べると中国はいかがでしょうか。  過去の大会は日本人参加者の方が多く、海外で試合をするといっても外国の方と試合をする機会はあまりありませんでした。ハワイ・グアムの大会では外国の会場を借りて日本人の大会をするという感じで、普及という点では効果がありませんでした。昨年のドイツで行った大会は日本の参加者80名よりドイツ人の参加者が多かったので大成功と云えますが、今回の上海では、世界選手権の元チャンピオンや中国卓球協会の上層部の方々も集まってくれたり、最初は戸惑っているようだったが、打ち始めると夢中になっていた参加者の盛り上がりを見ると、上海にはラージボールが根付くのではないかと確信しています。事実、上海卓球協会の幹部の方も会場に足を運んでくださり、オープン大会開催の構想も具体的にまとまりつつあります。 Q 石塚さんとラージボールの出会いは? 20年前に荻村会長始め数名の方が生涯スポーツに適していると紹介してくれました。そして自分のストロークに合うと感じ、仲間が賛同してくれました。7~8年かけて少しずつ改善しながら今の形にしていきました。 Q ラージボール、日本の現状を教えてください。 20年前、最初の大会時はラージボールを理解して楽しさを分かっていた人は約90名でしたが、2回目以降試合の参加者も増え、現在ではラージボール人口は7万~8万、10万人弱の方々がラージボールを楽しんでいます。生きがい・健康増進・向上心・など目的は多々ありますが、競技スポーツとして、生涯スポーツとして両立しているスポーツではないでしょうか。今でも愛好者が増え続けているのが何よりの証拠です。 Q 問題点がありましたら教えてください。 今後日本だけでなく、世界に発信・普及・発展していく為にルールを見直さなければなりません。誰もがわかりやすいルールにです。例えば1台のテーブルコートセッティングの広さ。現在の5mX10mでは狭いので最低でも5.5mX11mが必要です。また、サービスの投げ上げる高さの問題。現行の任意だと「ブッツケサーブ」になりやすいため、ある程度高さを規定した方がよいと考えます。 中国についていうと日本に比べ、高齢者で卓球をしている人がすくないということです。平均寿命の問題にもなりますが、ダブルスなど平均150以上になるかなどの問題点があります。世界的なスポーツにする為にも、ルールを統一する国際機関設置も必要な時期にきているのではと思っています。 Q 先生の夢と、ラージボールの将来は? 生涯スポーツとしても、競技スポーツとしてもラージボールは本当に誰もが楽しめるスポーツです。世界の人々にこのスポーツを紹介し、楽しさを分かってもらって、近い将来には、現在2年毎に開催されている世界ベテランの様に、世界の人々が集まる世界大会を開催したいと思っています。現在その夢に向かって頑張っています。   上海交通大学の副学長と石塚さん   参加者で記念撮影 どうもありがとうございました。 今後も益々のご活躍期待しています。 2005-01-01 00:00:00 RALLY TALK VOL.6 日本とドイツの架け橋に 恵藤英雄さん http:///travelbook/item/350.html VOL.6 日本とドイツの架け橋に 恵藤英雄さん ドイツで開かれる卓球の国際大会には何をおいても駆けつけ、大きな声援を日本選手に送る、心強いサポーター・元炭鉱マンの恵藤英雄さん。 1934年台湾・新竹生まれ。その後、山口県で少年時代を過ごした。62年に旧西ドイツへの炭鉱派遣事業に参加し、ドイツへ。ゲルゼンキルヒェンで3つの炭鉱を渡り歩いたあと、53歳で退職。現在は卓球のコーチとして、日独両国の若手選手の育成と支援にあたっている。妻のギゼラ(Gisela)さんとともにゲルゼンキルヒェン在住。 Q ドイツに渡られることになった経緯はなんですか。 1958年に当時の西ドイツと日本で協定が交わされ、西ドイツは労働者不足を補い、日本は採炭技術を学ぶという名目で炭鉱マンの派遣が始まりました。身体検査で不合格になったり、祖母が亡くなるなどチャンスが巡ってこない中、第5陣の募集に応募しました。離職者が対象だったので人事部に「退職してもらう。もし派遣されなくても再雇用できるかわからないぞ」と言われたのですが、「それでも辞めます」と応募し、採用通知をもらった時はうれしかったです。 下関から横浜に向かう時にちょうど28歳の誕生日を迎えました。羽田からアンカレッジを経由して3月2日にデュッセルドルフに着き、とにかく寒かったのを覚えています。北海道から鹿児島まで全国から集まった計70人のうち、35人がゲルゼンキルヒェン、残りがハンボーンに送り込まれました。 Q 炭鉱マンの仕事はどのような感じでしたか。 仕事は本当にきつかった。地下950m、急勾配の箇所での仕事に加えて、作業道具がドイツ人の体格に合わせたものだったので、ピックハンマーとか削岩機とか全て大きいんです。小柄な日本人には使いにくくて大変でした。ものすごい炭じんがわき、組合がうるさい日本だったら必ず1時間の休憩、食事時間があるのですが、ドイツでは出炭量が少ないと怒鳴られる為、作業能率をあげなくちゃいかんと、パンをかじりながら仕事を続けたものです。職制も厳しく、係官が言ったことは絶対服従、3日間無断欠勤をしたら即座にクビとほんとに厳しかった。 ドイツに渡って2年目の頃、鉄柱に梁を立てかける作業をしていた時、上から塊炭が転がってきて岩石に挟まれるような形になってしまったことがあります。ピックハンマーでようやく救出されましたが腰にひびが入り、5週間入院しました。また運搬機器のチェーンに足を滑らし、あやうく脚を切断するような目にも遭いました。ケガは5ヵ所、合わせて36針縫ったあとがあります。 派遣者の中には自動車事故に遭ったり、母親が恋しくて帰国するものもいましたが、皆「日本人としてはずかしいことはしちゃいかん」と真面目に働きました。そのおかげで「日本人は勤勉だ、素晴らしい日本人だ」と評価が高く、差別を受けたことはありません。 Q 異国での生活に慣れるのにも苦労されたんではないですか。 今デュッセルドルフに住んでいる人は恵まれています。当時は日本の食べ物を買おうと思っても品物がく、普段は寮で出されるドイツ料理を食べ、和食といえば年2回、ボンの大使館からしょうゆ一人当たり0.25リットルと茶碗半分の味噌の差し入れのみ。米はパサパサの外米です。1964年にデュッセルドルフに日本のレストランがオープンした時には給料日に皆で押しかけました。 Q ドイツにはずっと住むつもりだったのですか。 派遣された炭鉱マンは3年間の労働契約だったので大半が契約終了とともに帰国しました。現地では結婚した人や大学に留学する人だけ残りました。私はドイツに来て1週間後に妻と知り合い、2年後には娘が、その4年後には息子が生まれたので会社と労働契約を新たに交わし、そのまま居ついてしまいました。  特に 娘が生まれた時はうれしくって、疲れて家に帰ってきて抱き上げたら元気がどんどんでてきて、また仕事にいけると思ったくらいエネルギーをもらいました。今は娘・牧子の息子、ザシャ(15歳)と卓球を楽しんでおり、それが実に楽しく、生命力が増していく気がします。 Q 卓球との出会いはいつですか。 卓球との出逢いは14歳の時。少年時代を過ごした宇部市の社宅には娯楽室があり、そこに卓球台もありました。そこで男性ニ人がコーン、コーンととてもいい音を出して試合しているのを見て、子供心に「あぁかっこいいなぁ」と思いまして。父に卓球を始めるからラケットが欲しいと言って二人で家の近所のスポーツ用品店に行った。買ってもらったラケットは一番安い板ラケットではなく、コルク板のラケットだったのがうれしくって。 そしてその4ヵ月後、父は坑内で殉職しました。今思えば、ラケットを買ってもらったのが父親との最後の思い出です。 中学生の時、宇部・小野田地区の大会の個人戦で優勝できたのは、ない金をはたいてラケットを買ってくれた亡き父の気持ちに恩返しがしたいとフォアハンド、バックハンド、切り替えしと素振りを毎日1500本繰り返して練習した成果だと思います。なんでも一生懸命やらないとだめですね。ドイツに渡ってからは仕事がきつくてラケットを握ることはなかったのですが、右ひじを関節炎で悪くし、軽作業に移ってからは会社の卓球部にやるようになりました。 Q 退職後は卓球の指導をしたり世界大会の世話人として大忙しのようですね。 教え子はドイツ人を中心にトルコ人、韓国人、日本人と様々です。これまでで150人くらいはいるでしょう。ウクライナ出身のカタリーナ・ミハエロバ選手、カザフスタンのオルガ・コープ選手はドイツの女子1部リーグで活躍しています。 Q 卓球の指導を通して若い人と接する機会も多いかと思いますが、どんな印象をもたれていますか。 今の人は苦労を知らないから物を粗末にする。もったいないという言葉を知らないのではないかなぁ。例えばレストランに行っていろんなものを頼む。平らげればいいけど、手をつけずに残している。これでは国は滅びます。卓球の用具にしても私はシューズがなかったら裸足でプレーしたし、ユニホームは父のワイシャツの袖を切って自分で染めたり、割れたボールもセメダインで貼り付けて使ったものです。 Q 離れて40年以上になる日本をどのように見ていらっしゃいますか。 家族もここにいるから今さら日本で骨をうずめることは考えていません。でも祖国は祖国、故郷は故郷、日本からドイツに来る人のお世話もするし、大事に思うからこそ、経済大国として近代的に、便利になっていく中で日本人や日本文化が崩れるのではないかと心配になります。次世代に生きる若い人たちには日本人古来の謙虚さ、簡素の精神を忘れてほしくない。文明の進展、発達は喜ばしいが、ラクさを求めるあまり感謝の気持ちを失ったりすることがないようにして欲しい。若い人にとって海外に来ることがいい試練になるならば、是非来たらいいと思います。 ニュースダイジェスト一部抜粋 どうもありがとうございました。 今後も益々のご活躍期待しています。 2004-11-11 00:00:00 RALLY TALK VOL.5 ベルギーリーグ参戦 清水広記さん http:///travelbook/item/337.html VOL.5 ベルギーリーグ参戦 清水広記さん 実業団を経てベルギーリーグ参戦を果たした清水選手。ベルギーでの生活や試合の様子をインタビュー! Q ベルギーリーグへ参戦を決めた動機や経緯はなんですか? 「なぜベルギーに?」とよく聞かれますが、特にベルギーにこだわっていたのではなく、海外でプレーすることが夢だったんです。実業団でプレーしているころ、日本リーグ派遣選手としてフィンランドオープンに参戦しました。そのときヨーロッパでプレーしたいと心に決めました。英語は同じ映画を200回くらい繰り返し見て勉強しました。 Q ベルギー卓球システムを教えてください。 ベルギーにはピラミッド型のクラスメントというシステムがあります。クラスメントというのは、卓球のレベルを測る基準値です。自分のクラスメントによって出場できる試合が決まります。試合は同じレベルの人と試合をすることになります。また、ベルギーリーグには頂点のスーパーディビジョンを筆頭に1部、2部と階層があります。私は現在、スーパーディビジョンと1部リーグでプレーしています。 Q ベルギーの所属チームの様子を教えてください。 私はベルギーのコベルコベルコオードルゲムというチームに所属しています。チームにはベルギーナショナルチーム所属のアントニー、ベルギー人のグレゴリー、ボスニア出身のタリックという仲間がいます。選手兼コーチのタリックはとても頼れる存在です。   Q 1日の生活スケジュールを教えてください。 ベルギーでは卓球三昧。週に2回試合があり、それ以外の平日は自分の練習をしたり、クラブチームの子供を指導したりしています。また語学の勉強をしていて、最近は英語だけじゃなくてフランス語も話したいなと考えています。クラブチームの子供達にはフランス語で話しかけたりもしています。ホームステイをしていて、そこから練習場へは自転車で通っています。   指導している子供達と                   直筆のノートには戦術がびっしり書かれている Q 日本との違い、日本とベルギーそれぞれのいいところ悪いところはどんなところですか?(卓球面・生活面) ベルギーはクラスメントにより、大人から子供まで一緒になって強くなろうというシステムがいいと思います。日本は中学は中学、大学は大学というようにほとんど練習環境、練習相手が固定されてしまっているのではないでしょうか。また、リーグ戦のときはプレイヤーだけでなく、サポーターの応援に気合が入っていて、サポーターと一体となれるのが楽しいです。 空いた時間にクラブチームの子供の指導をしていますが、日本のように上下関係などほぼないのでとても生意気です(笑) 生活面でいうと、お米があまり食べれないことがつらいです。やっぱり日本人のエネルギー源は米でないと。 どうもありがとうございました。 今後も益々のご活躍期待しています。 2004-11-10 00:00:00 RALLY TALK VOL.4 同志社大学 河合竜太さん http:///travelbook/item/329.html VOL.4 同志社大学 河合竜太さん 現在、大学を休学し中国にて留学をしている河合竜太さんに、留学をしようと思った経緯や現地での生活をインタビューしてきました。今中国が熱い! Q 中国へ留学を決めた動機や経緯はなんですか? ・・・・今考えても自分が留学するとは思っていませんでした。自分は勉強も全然できませんし、しっかりしてないので父が将来が心配で中国留学を進めたのがきっかけです。自分としてもいい環境で卓球ができるし望んでも留学できない人はたくさんいる中で留学できることをチャンスと思い決めました。本当は高校を卒業してすぐに中国に留学する予定だったのですが、留学への不安などすごく重く考えていてすぐに踏み出せませんでした。しかし留学してみると留学というのはこんなものかと思うようなものでした。始めはまったく言葉も通じませんがなんとかなるものでした。 Q 中国語はどうですか?上達しましたか? あと一ヶ月ほどで中国に来て一年になるのですが、ようやく普通に話しかけられても聴き取れるようになってきた感じがします。やはり慣れはすごく大切だと思います。自分は卓球に費やしている時間が圧倒的に多いので、勉強は気が向いた時ぐらいしかしていないです。最近思うのは両立のレベルにもよると思いますが卓球と勉強の両立は無理だと感じています。筆記は日本に帰ってからでも自分でできますし中国語での不安は今はありません。一年を過ぎたぐらいから一番伸びると聞いていましたが、自分もそのように思います。 Q 日本と中国の違い、日本と中国それぞれのいいところ・悪いところはどんなところですか?(卓球面・生活面) 卓球面では日本はフットワーク練習(基本練習)が中国に比べて少ないと思います。そして多球練習はほとんどしないように思います。だから基本技術において劣ってしまうのかなと感じます。いい所だと思うのは自分で考えて練習がいっぱいできるところだと思います。生活面では、文化の違いをすごく感じます。日本は上下関係がすごくあるのに対し、中国はあまり感じない。みんな同じように集まり、練習し、そして練習が終わったら帰るという感じです。また挨拶というものが存在しないです。日本では挨拶や言葉遣いなど礼儀はすごく大事にされていますが、こちらではそういうのは重要視されていない感じです。その点では今の練習場の人達は人間関係などうまくいっているように見えます。 Q 1日の生活スケジュールを教えてください。 朝は授業に行くか練習かまたは寝るかです。中国では授業が8時から始まります。授業の場合は11時半まであります。お昼は二時半から5時過ぎか五時半ぐらいまであります。夜は月曜日から木曜日までで、7時から9時過ぎまであります。練習が終わってからは洗濯したりシャワーを浴びたり夜食を食べたりDVDを観たりしています。  Q 卓球の練習スケジュール・中国卓球について教えてください。  一本、一本のフットワーク、または二本、二本。切り替え、バック、回り込み、フォア-。全面にドライブを打ってもらってそれをブロックやカウンター。サーブからオール。課題練習。だいたい基本練習はこの中から指示されてします。人によってサーブからレシーブからなどいろいろ工夫してからやったりします。お昼が基本練習だったら、夜は多球練習、また逆だったりします。多球は自分で考えて出してもらいます。だいたい一時間から一時間半ぐらいします。中国の練習はとても基本練習、多球練習がすごく多い。中国人の人は小さい時からこのような練習をやり続けているので技術的にすごく安定している。それだけ中国は基本を大切にしているのだと感じます。 Q 中国の生活・寮の生活・様子 今は少しですが話せるようになり、中国の食事も問題ないので、特に不便なく普通に暮らしています。今の寮は古いのでゴキブリがすごく多く衛生面ではあまりよくないですが中国はまだまだ汚いところはいっぱいあるので慣れると思います。いいところは先週日本で終わったドラマが、200円~300円ぐらいでこっちで売ってたりします。 どうもありがとうございました。これからも頑張ってください。 2004-11-04 00:00:00 RALLY TALK VOL.3 元全日本ダブルスチャンピオン 大柿柴保さん http:///travelbook/item/349.html VOL.3  元全日本ダブルスチャンピオン 大柿柴保さん 元全日本ダブルスチャンピオン・大柿柴保さんの アメリカホームステイと卓球の旅日記 8月3日 9時に目覚ましをかけておいたのだが、7時に目がさめてしまった。やっぱり時差ボケである。ま、それは仕方がないことなので、自然に任せようと思う。その後、ゴロゴロダラダラしながら持ってきたパソコンをいじってみる。うまく繋がらない・・・。 さてサンタローザにやって来た早々、本日の午後からボランティア開始である。まずはPOWLIN CLEEKという施設だ。ここには毎週火曜日に来ること になっている。実はここには2年前に一度訪れたことがあり、老人ホームの対してのカルチャーショックを受けたのを覚えている。リッチなホテルと見紛うほど 素敵な施設である。こんなとこに入ってみたい!と思ってしまった・・・。ここでは毎週火曜日アクティビティールームにて焼き物教室が行われている。焼き物 教室とは言っても「ロクロ」を使うわけではない。手で捏ねて作品を作る。その際に、お年よりの代わりに粘土を持ってあげたり、椅子を運んだり、絵の具の準 備などをするわけだ。 アクティビティールームに入るやいなや、一人一人が笑顔で自己紹介してくれる。なんて気持ちがいいんだ!得体の知れないアジアの人間がノコノコ部屋に入って来たと言うのにみんなが(待ってました!)と言わんばかりに近寄ってくる。うーん、楽しい。この焼き物の先生がCHRIS(クリス)。クリスは優しそう で、すごく感じのいい方だ。私は栃木の出身なので“益子焼”の話で少々盛り上がってしまった。みんなが作品作りに夢中になっている頃、私はクリスの手伝い、また、91歳になるジーンおばあちゃんの色づけの手伝いなどをした。なんだか小学校時代の図工の時間を思い出し、胸が温かくなり優しい気持ちになれた気がした。来週はいよいよ自分の作品を作らせてくれるそうだ。ラッキー! POWLIN CLEEKにて これは私が書きました 昨夜はサンタローザから近いローナートパーク体育館で練習だったが、本日はNOVATO体育館で練習だ。サンタローザからは車で30分程度のところ。昨日と 同じ顔ぶれがちらほら・・・。卓球台は4~5台。体育館の入り口では小学生ぐらいの男の子が一人でマシン練習。はて?誰の子? ここでは昨日私の体力の関係で試合が行えなかったミッキーさんの相手をしなければ!ミッキーさんは普段ドイツに住んでいるそうだ。でも、イギリス人。昨日 と同じユニフォーム姿でボールを打つ瞬間、豪快な顔になる。ふみさんがミッキーさんと話をした。「普段ドイツにいるのに、長い間アメリカに滞在できて、しかもこんなにピンポンの練習をしていられるなんてあなたは幸せ者ね。」と言うとミッキーさんは「でも僕はまだ幸せではないんだ。だって結婚できないんだもの。」と、50歳にもうすぐ届きそうな彼がつぶやいていたそうだ。ミッキーさんはヒゲが濃いけど、どなたか興味はありますか?(笑) 本日はもう1人紹介。名前はピーター。ピーターは左利きのシェーク。メガネをかけてて髪の色はグレー。この辺ではかなりの腕前で有名とのこと。私は昨日試 合をしたけど、やっと勝てたぐらい。彼は構え方が非常にユニークで両足を台と平行に蟹股に開く。なんだか気になっちゃってしょうがない。ふみさん曰く彼も 独身だそうだが、彼はガールフレンドがいるらしい。ちなみに彼は48歳。NOVATO体育館でもいい汗をかき、9時頃に終了。ここには香港人も2人練習に来ていた。アメリカは多国籍で本当に視野が広がるなぁとつくづく実感。 8月5日 こちらに来てから本当に毎日いい天気。 さぁ、今日から近くのアダルトスクールに通う。朝9時までに学校に入らなければならない。なぜならレベルチェックがあるから。はりきって学校に行き受付に 赴くと、ガーン!その日から始まる英語のクラスが夏休みの関係でキャンセルになってしまったそうだ。肩を落としながら途中買い物(なおちゃんへの誕生日プ レゼント)して家に戻ったのでした。ま、でもすぐに気持ち切り替えて午後からのボランティアに向かいました。この日はアイゼンハウアーという施設。建物は 一見、一軒家のような感じですが、中にはお年寄りが14人住んでいます。すごくアットホームな感じ。まず始めにビンゴゲーム!みんなビンゴゲームが大好き で、ビンゴになった人はご褒美のキャンディーがもらえる。私の隣では唯一ここの男性住人のブルースがビンゴの数を発表するたびに、地獄の底からのうめき声 のような声を出して、「また違う~また違う~」と言っている。まるでホラー映画をみている気分だった。ここではみんなと自由に話をしたり、ゲームをして過 ごす。聞いていることがほとんどだが、ヒアリングの勉強になる。ここはベラ、ビクトリア、ドラという3人のメキシコ人女性が主にみんなの面倒をみている。 すごくしっかりしていて、強い女性たちだ。彼女たちを見ているとすごく勉強になる。間近でみるお年寄りへの接し方、対応の仕方は必見だ。どうも、自分の祖 母とここのお年よりをだぶらせてしまう。ここではビクトリアが夕飯を作る。今日はツナハンバーガーだった。この施設は私にも夕飯を提供してくれるので大変 助かる。しっかり食べて(お年よりに囲まれて)1時間の道のりをテクテク歩いて帰宅するのであった。 夜はサンフランシスコの手前の港町、サウサリートに練習に行く。サンタローザからは車で1時間20分。もちろんふみさんの運転で。実は今日はある日本人男 性と待ち合わせをしていた。現・東北福祉大学教授の荒木先生だ。顔を合わせるのは3度目ぐらいで、実は14、15日に行われる試合ではダブルスを組むこと になっている。荒木先生はカットマンだが、ダブルスの時や気が向いたときはペンホルダーになる。まさにオールラウンドプレーヤだ。少し練習をしたが、私のヘナチョコスマッシュでは抜けない抜けない。明日は絶対筋肉痛だ~。 ここにもあの練習仲間、ミッキーが来ていた。ふみさん曰く、「今日は練習に来てる人が多かったけど、みんなあなたの練習を見に来たんだって」ひょえ~!ア メリカは卓球人口が少ないからどこかの練習に少しでも強い人間が訪れるもんなら途端に広まるそうで、みんなどいつだ、どいつだと見に出かけるそうです。6年半も練習していなかった私、大変恐縮しています。 「練習が済んだら飯食いに行こう」と荒木先生。荒木先生の練習が終わったのはなんと10時。えっ今から行くの?って感じでしたが、出かけました。サウサリートの街をひた走り、3件のレストランで「本日は閉店です」を聞き、向かった先はゴーリデンゲートブリッジ。これを超えるとサンフランシスコ。既に10 時半です。行く?行かない?躊躇しているところにパトカーが現れ、行かなければいけない状況に!11時前に『IHOP』というファミレスに入り、30分程 卓球談義に花を咲かせ、帰宅するのでした。11時半です。そこからもふみさんと卓球話をしながら1時間半かけてサンタローザへ帰ったのでした。ふみさんお疲れ様でした。 アイゼンハウアーの食事を作っているビクトリアと ブルースとマリアンと私 8月6日 午前9時に起床し、その後kinko’sに行く。結局私が持ってきたコンピューターはインターネットにつなげなということがわかり、kinko’sまで行っ たのだが、これが高い。1分0セント。うー全部で4,5ドルも使ってしまった・・・。その後、ダウンタウンで食事をし(ハンバーガーだが)家に帰り、午後 2時にふみさんが迎えに来てくれた。3時半に南サンフランシスコの練習場に到着した。ここではある日本人女性と待ち合わせをしていた。“じゅんこさん”で ある。私は2年前に一度お会いしたことがある。変わっていない。すごくおとなしい方で18歳になるお嬢さんと10歳になる息子さん、(新ちゃん)がいらっ しゃる。旦那さんの赴任により8年間サンフランシスコに滞在しているそうだ。じゅんこさんはペンホルダー裏ソフトドライブ型で、性格がおとなしいわりには フォームとドライブに迫力がある。日本にいたころから卓球をしていたそうで、結構上手である。私は少し練習をしたあと、息子さんの新ちゃんの相手をした。 左利き、シェークである。フォームを見た瞬間おどろいた。以前ふみさんに「新ちゃんてどんな子?」と尋ねると、ふみさんが「ちょっとぽっちゃりしててアン パンマンみたいなかわいい顔してるよ」と言っていた。会った瞬間驚いた。アンパンマンに似ている!かわいい!一目ぼれしてしまった。 おーっと、長くなってしまったが、そんなアンパンマン新ちゃんはハンバーガーをかじった後、私と食後の運動を楽しんだのである。新ちゃんはかわいいので、 写真も載せていただきたいと思う。さてさて、新ちゃんのフォームを見て驚いた訳はすごく柔らかいのである。ボール裁きのセンスもいい。ただ、聞くところに よると、まだまだ卓球に集中する気にはなっておらず、他の遊びにも興味があってならないらしい。なんとか卓球の面白さを知ってほしく、打ちながら褒めまく り、そして卓球が楽しいと思うようになるような練習を試みた。練習の後、「楽しかった?」と聞くと、「うん、楽しかった!」と言っていた。でも、まだ問題 がある。新ちゃんの体はポッチャリ・・・。背が伸びればなんとかいけるかな~。こんな逸材なのだから、なんとかやる気になって、そして世界を狙ってほしい と心から願うのであった。 もう1人。ミーシャという現アメリカジュニアチャンピオンの男の子がいる。彼とも2年前に初めて会い、その後スウェーデンで2度会っている。今日はミー シャとそのコーチのまさあきさん、荒木先生と私でダブルスの試合をした。やっと勝つことができたが、その後ミーシャとシングルスの試合をしたらコテコテに やられてしまった。2年前は勝ったのに・・・。身長も卓球もグングン伸びているようで、これからも陰から彼のことを応援していたいと思う。 練習後、また1時間半かかってサンタローザに帰ったのである。 8月7日 今日はサンフランシスコで試合があった。1週間練習してないがなんとかなるか。不安でいっぱいだったが、ふみさんと楽しめそうな予感がした。本日私がエン トリーしているのは2種目。2つ共ふみさんとのダブルスである。サンタローザを7時30分出発。途中サンフランシスコの図書館に寄り9時ちょうどに体育館 に到着。急いでエントリーの確認に行くと何やらおじさんがふみさんと話をしている。そのおじさんが「おー君がogakiか」と。なんだか嫌な予感がし た・・・。 予感的中!アメリカは1人1人レーティングというものを持っている。日本は年代別されている大会が多いが、こちらは年齢はほとんど関係なく(年代別もある が)レーティング別の試合が行われる。レーティングだが、アメリカの最高で2600前後である。世界トッププレーヤーで2800~2900といったところ か。本日ふみさんと私は2800以下(2人合わせて)と3200以下のダブルスに出場することになっていた。私はどんな強さであれまだアメリカで試合に参加したことないため、公式なレーティングは持っていない。だからシメシメと申し込んだのだが・・・。あのピーターが組織の人間に、私に負けたということを話したらしく、ピーターのレーティングは2000以上だから、それに勝っているogakiはそれ以上あるはずだ、というのが向こうの言い分。ふみさんの レートは1400前後だから、私が2000だとしても3400。当然、2800以下と3200以下には出場できない。そんなわけで、本日の試合には出られないことになってしまった。ここで、あの新ちゃんがピンチヒッターで私の代わりにふみさんとダブルスを組んで試合をしたのである。55歳のふみさんと10歳の新ちゃんのペアはとてもかわいらしく見えた。それでも2800以下で1回勝ち、2回目はもう決勝。ということは4組しか出ていなかったということだ。決勝の相手は白髪のおじいちゃんペアだった。勝てると思ったのだが、そのおじいちゃんペアもなかなかしつこく、勝たせてはもらえなかった。アメリカの試合は面白い。ふみさんは今日だけで4種目に出場した。今日は全てトーナメント方式で試合が行われ、また参加人数も少なかったので可能だろうと思ったが、なんだかすごいと思った。ちなみに明日私は3種目に出場します。大丈夫かなぁ。 また、参加している人は小さな子供からおじいちゃん、おばあちゃんまで。服装は自由。Tシャツにジャージ、ユニフォーム、ジーパンはいたままの人もいたく らい。雰囲気は中学校の体育館で町内大会というような感じ。ゼッケンなどない。しかも照明が少ないため薄暗い。荒木先生がしきりに「ここは穴倉だ。」とこぼしていた。それにスゴイ!あちこちでいろんな言語が聞こえてくる。英語、ロシア語、広東語、北京語・・・そして私たち日本語。 気軽に参加できるので、アメリカで卓球大会があったら是非参加してみてはいかがですか? さ、明日は頑張ろうっと。 これが卓球の試合会場。確かに暗いんです・・・ 8月15日 今日は7時30分起床。8時45分にふみさんが迎えに来てくれた。道中、朝からペラペラ話をしながらサンフランシスコへ向かうのだった。その際はたくさんの放し飼いされた牛達やかぼちゃ畑、ワイン用のぶどう畑を横切る。私はサウサリートを過ぎた山間からゴールデンゲートブリッジが見える瞬間が好きだ。霧の中の赤に染まった橋は美しい。それを見ると目が覚める。本日もそれをしっかりと見て、会場に向かう。日曜日のため車が少なく10時前に到着。今回私がダブルスを組ませてもらう荒木先生も丁度到着したところであった。 会場に入るとすぐに試合が始まった。最初はopenダブルス。名前の通り誰でも参加できる。そのためレベルが高い。組み合わせは特に発表がないため、何組出場しているのかさっぱりわからない。知りたいのなら本部に行き、勝手に組み合わせを見る。これがこの大会のスタイル。1試合目は中国系の男性2人のペア。1人は右シェークで1人は右ペン表。見た感じ強そう。こちらもあたふたしながら試合を行ったがなんとか3-1で勝った。予定通り、予定通り。しかし、 私は久しぶりの緊張の中の試合のため、体が思っていた以上に疲れてしまった。今日は3種目に出場するのに、これじゃ体力がもたない!と、すぐに不安になっ た。そんな不安の中2試合目。本部で覗き見したところ、これは準々決勝ということがわかった。また中国系男性2人。1人は左ペン裏、1人は太ったおじさんで右ペン表。おじさんだと思いラッキーと思ったが、左の男性がメチャメチャ強い。ただ者ではないことがすぐにわかった。案の定、昔中国でプレーしていてカ リフォルニアでは相当有名な人らしい。こちらも相当必死で戦ったのだが、彼のレシーブやら打法(どこに来るかわからない)に振り回されあっけなく負けてし まった。openダブルスはベスト8で終わった。 女子シングルスは6人の参加。少ない。2グループに分かれリーグ戦。実は朝会場に赴くと既に組み合わせが貼られていた。3人づつに分かれてリーグ戦を行う のだがなんと私とふみさんが同じ組になってしまっていたのだ。それを見るやいなやふみさんが「ちょっと本部行って組み合わせ変えてもらうわ。」と・・・。 え?もう決まって張り出してあるのに一個人の意見で組み合わせって変えられちゃうもんなの?! ・ ・・できちゃうらしい・・・。と思っていたら、今度はミーシャのお母さん(彼女もプレーヤー)が一言。「私はあの中国人選手とやりたかったのに、変えられちゃ困る。」と。その後、すぐにふみさんとミーシャのお母さんで本部にかけていった のでした。試合が始まるやいなや、きちんとお2人の思い通りの組み合わせになっていたのでした・・・。アメリカ(いや、この試合)っておもしろいところだ なぁ・・・。皆さんも外国で試合をするときはダメ元でも言ってみるもんですよ。 さて試合開始。まずは左利きの中国系選手。きっと笑えばかわいいのに、ずっとムっとしてにらんだままだ。無表情。この手のタイプは苦手だが3-0で勝った。次はミーシャのお母さんと。また3-0で勝った。次はいよいよ決勝。右ペン表ソフトの中国系選手。しかしこの時私は既に体力の限界を感じていた。まだ 4試合しかしていないのに・・・。その試合では1セット目勝っていたにもかかわらず挽回されて負けてしまった。私はまだ混合ダブルスにも出場することや、 既に体の限界が来てることを思うと思うようにプレーができずストレートで負けてしまった。客席に帰り荒木先生と出場する混合ダブルスの準備をしていると さっき戦った中国選手が私のところにやってきて、「7セットマッチだからまだ試合しなくちゃいけないんだって」と言うのである。え~!もうやりたくないよー、と思っていたら、私のホストファミリーであるDANISとKARENがサンフランシスコに来たついでに私の応援に来てくれたのである。うれしい!すぐ後ろで2人が見守っていてくれるかと思うと本当に嬉しかった。その後、おまけの試合(おまけじゃないが)は2セットは取ったものの次のセットが敗れてし まったため結局2-4で負けて2位だった。(2位は40ドルの賞金が出た。ちなみに1位は100ドル) あ、それからこの試合に3、4位はなかった。決める必要はないようだ。 女子シングルスが終わると本日の私の最終種目である混合ダブルスが始まった。コートに入るやいなや、さっき女子シングルスの決勝で戦った中国系選手の組で ある。またやるの~?確かに参加者が少ないからおんなじ人とばかり当たる。(他の人もそうである)でも3-1で勝った。さっきの屈辱をはらしたぞ。試合が終わって私がぼそっと、「混合ダブルスは何組出てるんだろう?」というと、ふみさんが「5組だって」ひょえ~!そんだけ?てなことで、1回やっただけで2位は確実。次はいよいよ決勝であった。 決勝の相手は強かった。ナショナルチームに入っているという左シェークのアメリカ人少年とベトナム系の右シェークの女の子。2人は恋人同士だそうだ。試合をする前に何か負けているような気がした。(笑)1セットは取ったもののやっぱり負けてしまった。でも2位。荒木先生と私、それぞれ25ドルずつ賞金がもらえた。 私たち全ての試合が終わったのは夜7時。7時とはいってもまだまだ明るい。日本の4時~5時ぐらいの感覚だ。その後、お疲れ様会でみんなでサンフランシス コの中華街に行っておいしい中華料理をたらふく食べたのであった。歩くのが困難なほどに体は疲れきってしまったが、楽しい1日だった。 サンフランシスコオープンの会場 大会に参加した日本の選手たち!?(左からふみさん、荒木先生、私) 8月27日 実はなおちゃんは23日にバークレーへと引っ越してしまった。しかし、今日はサンフランシスコでなおちゃんと待ち合わせ。指示された通りのバスに乗り、2 時間半かけてサンフランシスコのダウンタウンに向かった。5thストリートのバス停でなおちゃんが待っていてくれた。安心。今日は待ちに待ったアルカトラ ズ観光。なんだか昔から興味があってたまらない。少し歩いて、ケーブルカー乗り場へ。ここは観光客がいっぱい。日本人もたくさんいる。なんだかアメリカっ て感じ。(サンタローザももちろんアメリカって感じだが)さてケーブルカー(パウエル-ハイド線)に乗車。脇の手すりにつかまる。ここを狙っていたら、こ こが空いていた。今日は霧のサンフランシスコも久しぶりの猛暑。ジリジリ太陽が照らす中、手すりにつかまるなおちゃんと私はとても爽快。いい体験をした よ。ケーブルカーと記念写真をパチリ。 さて、ケーブルカーの終点はフィッシャーマンズワーフの目の前。潮の香りと汽笛の音、たくさんの観光客においしい食べ物の匂いが漂う。まずは腹ごしらえ。有名な「スコマズ」でシーフード三昧。ボリュームたっぷりでおいしかった~。 さて次なる場所はアルカトラズだ!胸ワクワクチケットを買いに行くと、な、な、なんと!日曜日の夜6時半のチケットまで既に完売しているという。30分に一度の割合で船が出ている。そのため定員制なのだ。行けないの~?!まぁ、行けないんだからしょうがない。そこで、なおちゃんが気をきかせてくれ、その場 でチケットの電話予約をしてくれたのだ。次の金曜日に出直すことにした。アルカトラズのためなら、2時間半のバスに乗ってでもこのサンフランシスコに来るぞ。このチャンスを逃したらこの先後悔してしまう。 てなことで、ブラブラと散策が始まった。私のバスの時間もあるため、正直ゆっくりはしていられないのだ。なおちゃんが住むバークレーはサンフランシスコからバートという電車に乗って30分くらいの場所なので比較的近い。 この先のことは文章を省かせていただきます。 なおちゃんとイタリアンレストランにて  アルカトラズ島にて ~なおちゃんアメリカ滞在おもしろ話~ ① それは6~7年前。その当時、日本、アメリカではマライヤ・キャリーが流行していたそうで、なおちゃんはアメリカに来てまず初めに買おうと思ったCDがマライヤのものだった。友達にそのCDを見せてもらい、いざCDショップへ。するとなおちゃん「あのーう、マリア・クレイのCDありますか?」と言ったそうで、店員さんは困っていたそうです。友達にCDは見せてもらったものの読み方がさっぱり違っていたとのこと。今は英語が流暢ななおちゃんもそんな時代があったんだなぁ。ちなみにそのCDショップの店員さん、なおちゃんが「マリア・クレイ」を連発していても、困りながらマライヤのCDをなおちゃんに差し出 してきたそうです。BINGO! ② ダウンタウンを歩きながらさりげなく私が「ねえなおちゃん、アメリカの郵便ポストってゴミ箱みたいだよね~」って言ったら、なおちゃん、「(ゴミ箱)みたいっていうより私アメリカに来てから1年間、ポストをゴミ箱だと思ってて、コーヒー飲んだ時のカップやアイスクリームのゴミ、なんでも捨ててたんですよ。 その時投函した人の手紙はたぶんベトベトグチャグチャだったと思います。いやー申し訳ないことしてましたー!」ですって。結構ウケル、なおちゃん。でも他 にも同じことしてる人絶対たくさんいるはず!これがアメリカのゴミ箱、あ、違った、郵便ポストです! アメリカのポスト。確かにゴミ箱みたい! 9月4日 今朝はホームステイ先のおじさんにさよならの挨拶をし、ふみさんと共にフリーモントに向かった。KARENおばさんはヨーロッパに旅行中で6日まで戻らない。おばさんと過ごした時間はなんと2週間あまりだった。さてフリーモントに到着すると、続々と会場に向かう人がいる。これはかなり大きい大会、と聞いていたので、楽しみにしていた。会場に入ると、思い描いてい たものとはほど遠かった。観客席がない。人もそう多くはない。でも、これがUSATTが主催するアメリカの4ツ星大会なのだ。アメリカでは「卓球をしている」と言うと、変人に思われるくらいマイナーなスポーツだと言うのだから仕方あるまい。こんなに素晴らしいスポーツなのに・・・。 試合に入ると、まずはOPENから始まった。OPENというのは一番レベルが高い種目である。1人1人レーティングがあるため、レーティング別に行われる種目の中、これだけは制限がない。レーティングだが上は2800ぐらい。2000以上は上級者となる。ちなみに私は1899です・・・。この種目はまずは ラウンドロビン。4人でリーグ戦。なんだか今日は調子がよくないな、と思いながら試合に入った。前回の大会の時に腰を痛めているので、どうも動くのが怖い ようだ。まず初めはメガネをかけたSTEVEさん。そんなに強くないような気がしたがセットオールで負けてしまった。試合の後、みんなに「あの人は 2300ぐらいある強い人なんだよ。惜しかったなー」と言われました。うーん、レートが上がるチャンスだったのに残念! 次はすごいお腹を持ち、腰が曲がっているおじさん。みんなで「あの人には勝てるだろう」なんて言ってたもんなら、ブロックが上手い。左右に振り回されヘトヘト・・・。ここで残念なことが起きた。このおじさんしょっちゅう自分が特するように点数をごまかすのである。7-5なのに、8-6というように。自分が リードしていたら、少しでも早く11点になるようにしている。点数のごまかしは何度も行われひどいと思ったのと、試合の仕方もかなりひどいものがあった。 イライラ、ムカムカ・・・それなら勝てばいいのに、挙句の果てにこの人にセットオールで負けてしまった。悔しい。 (ちなみにそのおじさんのレートは2000を超えていた) もう私の腰は限界だ。でも、後1試合。頑張るぞ。次はベトナムか、中国系の男性。私と同じくらいの年かな。これは3-0で問題なく勝つことができた。しかし、リーグ内で1人しかトーナメントに上がることはできない。よって私のOPENは終了。実は次に女子シングルスがあるのだが、腰の不調により棄権させてもらった。7人しか申し込んでいなかったが、私の棄権により6名になった。この後は観戦をしていた。たまに点数のことでもめている。相互審判のわりには片方が大きな声を出して数える習慣もないのでこのようなことが起きてしまう。 うーん、これは問題。と思うのは日本人の私だけか?日本ではこんなことはないが、アメリカでは日常茶飯事なのかもしれない。そんなことを考えながらも、ふみさんは相変わらずマイペースで試合をしている。負けても負けてもへこたれず、試合ができることが嬉しいそうだ。ふみさんは1日に3種目出場。2日間で6種目に出場する。アメリカではこのようなことが可能である。 この日の試合が終了すると、今日はふみさんも私も順子さんの家にお邪魔させていただくことになっている。私は3泊もさせてもらう。途中で食事(おいしい日本食でした)をしたので、順子さんのお宅に着いた時にはもう暗くなっていた。しかも、順子さんの家はアメリカ特有の山(丘)の上に家が建っているので、家 からの眺めが美しいのだ!サンフランシスコ空港のグリーンの滑走路が目の前。飛行機が行き来している。感動!家の中も広くてとても綺麗。私とふみさんは新ちゃんの部屋で一緒に休んだ。 フリーモントの大会会場  アンパンマン新ちゃんと会場玄関で 朝目が覚めると、既に順子さんと新ちゃんの声が聞こえてくる。顔を洗ってご挨拶に台所へ行くと・・・素晴らしい!日本食の朝ごはんが用意されている~。白いご飯にお味噌汁、大根おろしにしらす。それに高菜のお漬物・・・。美味しくって、嬉しくってたまらなかった。それに、順子さんは私たちにお昼のおにぎりまで作ってくださいました。感激です。 会場に着くと、ふみさんと少し練習。今日は9時からふみさんとダブルスに参加するのです。トーナメントなので負けるとそこでおしまい。なんとかして2回は 試合をしたいと思っていたのですが・・・。相手はベトナム系(?)のおじさん達。何やら変わった言語を話します。1セット目9-5でリード。かと思いき や、サービス、レシーブの順番が違うから7-5に戻る、と言われた。既に9-5になっているのに。こっちだって悪気があって間違えたわけでもないし、間違ってたら向こうも直ぐに指摘してこないと。点数が戻るなんてルールはない。挙句の果てにその人たち、間違えたから7-7だ、まで言って来た。間違えたか ら相手に点数をあげる、なんてルール絶対にない。9-5になってしまった以上9-5なのだ。説明しても全く聞く耳もたない。勝つための手段は選ばない。で も、最低限のルールは覚えてもらいたい。昨日といい、今日といい、不快な気分になることが多い。後は試合が終わった後の点数の報告も実はほとんど適当に書いている。まごまごしていると、2-3で負けたとしても相手に0-3と書かれてしまうかもしれない。アメリカの人はみんなレーティングを持っていることに より、セット数や点数はあまり関係ないのだ。レーティングはセット数や点数は関係しないからだ。ほぼ、勝ち、負けで決められる。 誰もが自分より上のレーティングの人とやりたい。下の人とはやりたくない。負けたらレートが下がってしまうからだ。何が何でも勝つためにスポーツマンシッ プを忘れたプレーになってしまうようだ。ずっとレーティングは非常にいいシステムだと思っていた。でも今回この大会に参加してみて、レーティングに取り憑かれ本来スポーツをする上で最も大切なものを忘れてしまっている人が多い、そんなアメリカの卓球状況にも触れることができた。ずっとレーティングシステムはいいものだと思っていたために、正直ショックは隠しきれない。 最後に私の大切な友人とジュニアカレッジのクラスメートや先生、それからホストファミリーのデニスやカレンと。 大柿柴保 2004-11-03 00:00:00 RALLY TALK VOL.2 近藤欽司先生  中国卓球界の現状を語る http:///travelbook/item/348.html RALLY TALK VOL.2 近藤欽司先生  中国卓球界の現状を語る 1942年9月25日生まれ 前白鵬女子高校監督 ナショナルチーム女子監督 インターハイ団体8回優勝 2001年第46回世界選手権大阪大会では18年ぶりに女子団体でメダルをもたらす 40年にわたる卓球指導者人生を集約した『夢に向かいて』が好評発売中 提供:日本卓球株式会社 取材/野中 直広 ナショナルチーム女子監督を務められた近藤欽司先生が、昨年末に10名の中学生、2名の指導者を連れて中国の上海で1週間の合宿を行った。そこで、古くか らの友人であり、中国卓球界では強い影響力を持っている楊光炎氏から、中国卓球界の現状を聞き、ぜひ多くの皆さんに知ってほしいという近藤先生からの強い 要望でこの企画が実現した。 中国では選手育成のシステムが充実しているが、環境的にも支援的にもさらに進んでいる。子供の頃から能力の高い有望選手を発掘し、集中的に強化し、競争さ せている。また、指導者は常に仮説を立て、今後の卓球の変化を推移し、研究し続けている。さすが中国、といわざるを得ないが、感心ばかりしてもいられな い。日本の進むべき道は? 世界チャンピオンを6~7年で作る ■はじめての試み ―昨年末に上海の方で、一週間の日程で合宿をされたそうですが…。 旅行社ユーレックスの大柿さん(白鵬OG)が企画をされて、募集をして、選手が10名、指導者が2名参加しました。遠くは北海道から2人来ました。 ―この合宿の目的は? 中国で合宿をしてみたいという子供たちを全国的に募集して行いました。 実は以前にも企画したのですが、サーズの関係でできなかったのです。サーズも落ち着きましたのでもう一度企画を立て直して実施しました。今回は中学生だけ だったのですが、小学生も含めてなるべく若い時にいい経験をさせて刺激を与えて、さらに伸びてもらいたいなという願いがありました。 ―こういう形では1回目ということですね。 そうです。1回目です。私たちは高校生を連れて何回もいっていますが、ユーレックスさんが企画をしてこういう形でいったのははじめてです。 たまたま、中国に私の古い友人の楊光炎さんという人がいまして、彼は世界チャンピオンを8名も発掘している人で、中国ナショナルチーム総監督をしている蔡 振華さんの恩師でもあります。彼は中国では大変な力があるし、とにかく選手の見る目がすばらしので、将来的には日本の若い有望選手も彼に見ていただいて、 いいアドバイスをしていただきたいなという考えを持っています。 今回は初めての試みでしたが、楊さんも一緒にホテルに泊まって練習も一緒に見てくれ、24時間一緒に行動してくれました。練習はもとより、いろいろなこと を選手に話してもらったり、選手の質問に答えていただいたり、また、スタッフだけでミーティングをして、中国の実情を聞いたりしました。 最後の夜には曹燕華さんに招待を受け、上海チームのスタッフも一緒に食事をしました。  ―今回の企画を終え、内容的には満足のいくものだったのでしょうか? そうですね。参加されたみなさんには満足していただけたと思います。なか日には気分転換をかねて、上海チームのエリートしか入れないナショナルセンターを 見学させていただきました。ちょうど、王励勤が上海に帰っていて、彼の練習も見ることができました。そこは普通ではなかなか見られないところです。また、 上海体育運動学校で練習したのですが、そこにいる選手は子供でもすでにプロなんです。  ―子供もプロ?  昔あった業余学校の現代版といいますか、そこには、いろいろな競技がありますが、その中でも卓球はレベルが高いそうです。ここの総監督を曹燕華さんがやっているのです。私どもの練習にも1日だけ顔をみせてくれました。 小・中・高ですが、ようするに選ばれた人しか入れないわけです。月水金は午前中授業で、午後と夜練習、火木土は1日中練習で日曜日が休みという日課で、た だし、自分でやりたければいつでも練習ができるようになっています。そこが大事だといっていました。 ―そこは寮生活でしょうか? そうです。みんな寮生活で、親元を離れて全国から集まってきています。いわゆるエリートしか入れないわけです。 ―練習はそこの子供たちと一緒に行ったのですか? はい、そうです。そこも大変立派な施設で、台は40台ありました。我々の宿泊は外のホテルにしましたが、そこにも宿泊施設はあります。 ―楊先生は、今はどちらに? 楊先生は、住まいは南京です。江蘇省の総監督は定年して、これからは海南市の監督として活動するそうです。 多球練習 ■理論的な背景がある ―ところで、中国の現状はどのようになっているのでしょうか?  中国には今、スーパーリーグがあり、それにスポンサーがついて、選手は引き抜き合いするほどです。 ―やはり、中国もシステムがだいぶ変わってきているようですね。 中国の組織は、日本とは社会体制も違いますが、やはり、小さい時から素質のある選手を見つけて、どんどん上に吸い上げていくというやり方です。当然、素質 のある選手には報酬が与えられ、スタッフもいい指導者になれば、高い報酬をもらえます。あるいは、個人的に指導者を指名して練習をみてもらうこともあるよ うです。 中国には過去に86人の世界チャンピオンがいるそうです。ところが、調べてみるとすべて卓球をはじめてから10年以上は経っているそうなんです。これは、 非常にロスが多いということで、今、6~7年で世界チャンピオンを作ろうという計画に入っているそうです。では、そのためには、何をどのようにしたらいい のかを考えて取り組んでいるところだと言っていました。当然、技の問題、新しい技の研究、練習方法といったものを改善していかなければいけないわけです。 ―中国は発想が面白いし、チャンピオン国でありながら新しいことに常にチャレンジしているということですね。 やはり、中国は必ず理論的な背景があってやっています。フィーリング、感覚的なものも大事ですが、理論で説得させるものがないと受け入れられない。そこが 日本とは違う点です。そのかわり、指導者たちが理論的な背景を確立するためにものすごくディスカッションするわけです。あるいは、仮説を立てて研究するの です。 例えば、卓球はどういう競技かといったら、ほかの競技と比較して非常にわかりやすく理論づけています。卓球は、点がとりやりやすいが、守りが難しい。先手 をとれば点をとる確率が高いということです。そういわれれば確かにそうです。でも、サッカーは、点差がつかず点がとりにくい競技。得点は難しいが守りはや りやすいという競技性があります。また、卓球はどんなにすばらしいプレーをしても1点で、凡ミスしても同じように1点です。バスケットのように3点とれる プレーはないわけです。 また、11本マッチになってから卓球の考え方がだいぶ変わってきています。まず、練習では、より試合に近い練習が多くなっている。つまり、試合ではまず短 いサービスが多い。それに対してレシーブはストップ、あるいはフリックが多い。相手も先手を取らさないように考えているわけですから、サービスを持ってい ても全部先手をとることができない。そこには先手争いがあるわけです。先ほど話したように攻撃した方が点がとりやすいという部分です。しかし先手をとられ たら全部がダメではいけませんからディフェンスの技術もあわせて、台からは離れずに前陣でのブロック、カウンターが必要です。プロツアーを見ても中国の女 子選手はほとんどコート近くでプレーしていますね。 この先手をとるということを非常に重要視しています。 ―そうしますと具体的にどのような練習をするのでしょうか? 11本マッチではあっという間に終わってしまう。そこで頭をものすごく使わなければいけない。また、戦術の変換というものが大事になってきています。つま り、ボールの威力とか、技の種類とか、体力面すべてを40ミリボールになって11本マッチになったことで、今までより一段上に上げなければ戦えないという 考え方なのでしょう。 戦術的にもあそびがないので、その分、次々に変えていかなければならない。 そして、8―8になる確率が多い。そこから3本の点の取り方に、戦術の幅、冷静な試合運び、あるいは相手が何をやってくるのかという読み。この3本の組み立てに難しさがあると考えています。 そして、試合に近い練習とは何かというと、卓球の道理、定石をよく理解し、それから相手のクセ、特徴を推理して相手の変化に対応しながら練習することです。 そういう考えで、例えば、サービスを持った時は、第1に3球目で先手をとり強打する。でも、レシーブがうまければ強打できないのでつながなければいけな い。そのつなぎが甘ければ4球目強打されるので、そうさせないつなぎ。3つ目は、サービスがちょっとでも甘ければ逆襲を食らう。それはブロックで防がなけ ればいけない。 つまり、サービスからの練習では3球目で強打することが第1優先で、強打できない時のつなぎが第2優先、そして強打された時はブロックする、この3つの選択肢をもって練習をやるのです。 日本の場合は、一方は強打、一方はブロックという選択肢のない練習が多い。そこを強調しています。日本では3球目の練習なら、レシーバーが強打することは 少ないですね。そこの、意識が全然違うわけです。試合の状況での意識を持った練習が大事です。つまり、お互いに先手をとるという意識で練習することが試合 に近い練習です。 指導者の目も大事です。後ろで見ていて選手が強打できるボールをつないだら、それを否定しなければいけないわけです。そうしないと選手が育たない。それか ら、もっといけないのはブロックしなければいけないボールを強打してしまい大きなミスをすること。たまには逆襲のプレーが必要かもしれないが、11本マッ チですから、そんなには使えない。ブロックするべきボールは、手堅くブロックしなければいけないのです。 レシーブ側も4球目に対する選択肢が必要です。レシーブでは、まず、相手の3球目を封じるレシーブをしたいが、多くはそうできはしない。すると、相手の3 球目攻撃を止めるブロックの意識が一番になるでしょう。次にレシーブがうまくいって相手がつないできたボールを4球目強打できるのであれば、強打し、でき なければつながなければいけない。サービスの時とは優先順位は変わりますが、やはり選択肢が常にあります。打てるボールを見逃したら、やはり指導者は指摘 しなければいけない。 これが、試合のための練習ということになります。 仮説を立て、研究や議論を重ねる ■孔令輝型よりも馬琳型 ――11本マッチに対して中国の傾向は? 中国では11本マッチに対して、当初は孔令輝型の選手を育てようとしていたようです。それの方が勝ちやすい、つまり、ミスが少ない安定したラリー型の方が有利と思ったようです。しかし、実際にいくつもの試合を経験していくと、孔令輝型よりも一発のフォアドライブがある馬琳型の方が勝ちやすいという現象が出てきました。どういう戦型が有利かというのは、いまだに仮説状態であって、実験中。確実にこういう方がいいという結論はでていないという話をしていました。 しかし、私の推測では、馬琳型の選手を育てる方向にあります。なぜなら、若い選手の練習を見ていたら、ガンガン、フルスイングで練習しているのです。小さな子供が。すごいですよ。 ――男子と女子では多少違う面があるような気がしますが…。 バック技術は女子の方がうまいですね。男子はすぐに回り込みます。フォアで積極的に攻め込む形が多くなっていますが、女子は両ハンドでプレーする機会が多い感じです。 そして、先ほどもいいましたが頭の方の訓練です。21本の時と違いあそびがないわけですから、頭を使う意識が重要なのです。  ――そのようなことをすぐに理解できる選手もいれば、理解できても反応が遅い選手もいると思いますが、どのように指導すれば全員をいい方向に向かわせることができるのでしょうか? この体育運動学校は、1、2年間くらいで伸びがない、つまり成果がない子供は地元の学校に帰されてしまいます。入れ替えがあるのです。コーチが観察していて、上達しない子は帰されてしまうのです。 ――それでは、選手も必死ですね。そういう状況では、競争の原理ですから、生き残るためには自分が必死にやるしかない。それも中国ならではのシステムでしょうが、日本ではあてはまりませんね。日本の場合は、どのように高めていけばいいのでしょうか? 日本の場合は、卓球をやりたいという子供を、あなたは能力がないからこなくていいよとは言えない社会ですね。つまり、そこには教育的な配慮があります。 日本では底辺を広くしなければならないし、頂点も高くしなければいけない。そのためには、能力が高い子供を発掘して、こういったところで一緒に訓練させてもらう機会を多くする。 あるいは、もっと上をいくとするなら、中国で合宿しながら日本の学校と同じ勉強ができるくらいのことが将来的には必要になってくると思います。向こうで一緒に練習しながら、学校も卒業できるという体制ができてくればいいのですが…。 ――そういうことは可能なのでしょうか? それは学校が認めるかどうかでしょうが、1年間はできないにしても、一ヶ月間くらい行っても学校も欠席にならす、進級もできるくらいのことは、将来有望で選ばれた子供には考えていかなければいけないでしょう。 ――たしかに今は、だんだんそういう時代ではありますね。 そうです。男子ではすでにヨーロッパの方に何名か行っていますね。それは学校の配慮でできることですが、限られた学校でしかできないわけです。 もっと公的な機関でできるよう、また、あそこまでやるのが本当にいいのかはわかりませんが、もう少し短縮して、半分は中国で半分は日本、あるいは3分の1が中国で、日本にいる時はほかの生徒と同じように勉強もする。中国でももちろん勉強して、普通の教養は見についていくようにしてあげる。先生も一緒に行って、向こうで授業をするという方法もあります。 しかし、今の日本の社会体制では難しいかもしれませんが、みんなが協力し、意見を出し合い、一歩前進するための改革をしていかなければいけないのではないかと思っています。 ――日本ではクリアしていかなければいけないハードルがたくさんありますね。 そうですね。この体育運動学校では、日本人の受け入れはしてくれます。ただ、むこうで勉強しても日本の学校の単位として認めてくれないわけです。 中国語はうまくなるかもしれませんが、それは科目にありませんから、向こうで日本の勉強ができ、単位として認めてもらえればいいわけです。 卓球練習 ■心のコントロールは自主練習で生まれる ――早くそうなって欲しいですね。話は変わりますが、中国ではメンタル面の強化はどのように行っているのでしょうか? 先ほどからお話していますが、11本マッチになってすべての面であげていかないといけない。体の面、技の面もそうですが、心の面もそうです。 心技体といいますが、お互いに戦う中で卓球競技は特に自分の心をコントロールしなければならない競技です。ですから、心をコントロールできる自分を作って いかなければいけない。それは、心の支えをつくることです。では、心の支えはどのようにしたらできるのかというと、私の考えと楊先生の考えが同じでした。 それは、朝早く起きて、自分で練習をするとか、トレーニングをするとか、あるいは、夜、残って、昼間の練習で納得でいないところがあったら、納得するまでやる。 上海体育運動学校では24時間練習ができるようになっていて、空いている時間に誰が練習をしているのかということを観察しているのです。誰が努力している のかということを観察して、それがつまり、途中で帰る人と残る人の違いになっていきます。人から与えられたテーマだけではダメだ。それプラス、自分でいか に努力ができるか。 やはり、心の支えは自分でつくらなければダメだということです。結局は、意識の問題になってきます。それは、目標を達成したいという強い願望がなければ、 高くならない。人間は誰でも弱さがあります。楽をしたいし、朝早く起きてやるのは嫌ですよ。だから、指導者は意識改革させるアドバイスが必要になります。 ――一番難しいところですが、指導者として成功するかどうかもそこにかかっているようですね。 そうです。11本マッチでは競った場面が多いです。この時に、迷ったり、不安になったり、勝ちを意識するような選手では、指導が足りません。そこから何ができるか。そのための準備をしておかなければいけないわけです。 それが、心理面でいえば、いかに心の支えをつくっているかということです。それをつくるのは、自主練習なんです。そのように意識を高めることが指導者の仕 事です。試合で負けてショックを受けている時に、どうなんだと、自主練をやっている選手であれば、きっと効果が出てくるからもう少し頑張ってみよう、と。 あるいは、やろうと思ってもなかなかできない選手もいます。そういう方が多い。10人が強くなりたいと思っていても9人は自主的に練習ができないと思いま す。本当にできる子は一人です。その子につられて、二人三人と増えていくのがチームの強さになっていきます。 また、先輩が自主練習をしていい成績を残していい思いをしたという姿を見ると、後輩も私もああいうふうになりたい。自分たちがやってまた後輩に伝えてい く。これが伝統です。やはり伝統というのは、どうしたら勝てるのかということを残していくこと。逆にダメな先輩がいると、悪い伝統を残してしまうことにな ります。 話がそれましたが、心の支えをつくるというのは、最後の競った時に勝てる機会を増やすということです。もっと天才的な選手は、競ったときにひらめきが出て くる。たとえその内容があまり練習していないことでも試合でできます。そういう部分は天才的な部分です。 ――お話を聞いていると、中国は常に卓球に対する研究が進んでいるようですね。 そうです。いろいろな仮設を立て、卓球の方向性や、どうしたらいいのかということを考え、議論しているようです。 先ほどいいました、6~7年で世界チャンピオンをつくれないのか、という仮説に対し、いろいろな方法を模索しているのです。 ――中には失敗もあるでしょうが、常に前向きに取り組んでいるところは日本も見習わなければいけませんね。 失敗も多いと思いますよ。でも、それが一つの方針としてマニュアルとして、中国全土の指導者に流れるわけです。 ――ほかに何か感じていることはありますか? トレーニングも結構時間をかけて、ダッシュをしたりうさぎ跳びをやったり、腹筋、背筋など、大体、日本と同じようなメニューをしていました。 ――特別なトレーニングなどはないのですか? 特殊な機械を使ってやることは見られませんでした。普通に考えられることをやっています。ただ、そのための時間をとれるのが大きい。一日の練習時間は大 体、6時間だそうです。それからトレーニングを40~50分くらいやっています。 ――戦術的なものは何か? 戦術的な技の幅を増やすことは当然ですが、試合でのカウント8―8から相手が何をやってくるのかという予測が大事です。自分がやりたいことがあるように、 相手もやりたいことがあるわけですから、そういうかけ引きですね。そこでミスしたかどうかではないんです。何を予測してプレーをしたのかということが問題 で、それが正しければミスしてもしょうがない。それが全然外れてしまったりするのは問題があるわけです。私の本『夢に向かいて』でもふれましたが、頭が疲 れる練習というのはまさにそういう部分です。 それから40ミリボールということで、ボールの飛ぶ距離の問題から前陣、あるいは中陣でプレーをして、当然打球点は早くなるわけですから、反応が早くなけ ればいけない。あるいは判断。これはすごく重要視しています。特に、ノータッチに対しては厳しくしています。とにかくラケットに当てること。 前中陣で肘から先、手首から先のプレーをしながら一発の強ドライブに結びつけるという筋書きなんですね。これは特にレシーブからの展開ですね。 一発で抜くドライブは必要ですが、その前に一発をやらせないプレーがなければいけないし、チャンスボールをつくる技、レシーブとかストップ、あるいはサー ビスとかありますが、強打を打つ前のボールが大事です。これは、多球練習の中で技の練習をしていました。 それから、我々が一緒にミーティングをした中で、中国では新しい技ということで、ペンの裏面打法を進化させて、レシーブから使ったり、一発ドライブを打ったり、すべてフォア側と同じ技ができるように訓練しています。 それから韓国の朱世赫を原型にして新カット型を研究しているようす。バックはカット、フォアは強ドライブという戦型です。 また、レシーブ技術、台上処理もフリックを含めて横回転を入れたり、いろいろ意外性の技を考えてやっています。 意識が変われば生活が変わり、結果も変わる ■強くなるためには意識の問題が大事 ――ところで、楊先生の指導はどこが違うのでしょうか? 素質のある新人を発掘し、次は育てるという部分ですね。午後の多球練習は、一台は楊先生がやってくれて、残りはほかのコーチがやってくれました。合宿中全員が一度は楊先生にやってもらおうと計画を立てました。2日目が終わったときに、楊先生とほかのコーチとの違いを選手に聞いたところ、全然違うという答えでした。 楊先生にそのことを聞いたら多球練習にも一流と二流があると言っていました。選手は楊先生のノックのボールはどこへくるのかわからない。いわゆるフェイントをかけたりして、意外性があるのです。これが、選手にとっては判断力とか逆に来た時の対応とか試合の中で大事な要素を持っている。これを多球練習ではやらなければダメだと。選手が簡単に打てるようでは二流ということです。また、その内容も試合で役立つ内容を考えなければいけない。 観察していると、ツッツキでも切ったり切らなかったりと回転に変化をつけている。試合では相手は当然、変化をつけてくるわけですからそこが重要で、打ちやすい練習では試合のためにはならないわけです。 ――その他楊先生とお話した中で、印象に残ることはありますか? 特に強調していたのは、11本マッチの試合での心理面の重要性です。試合ではまず、自信を持つことは重要。二つ目は、自分の心のコントロール、先ほども触れましたが心の支えが必要。試合はポイントをとったりとられたりですし、自分がミスをする場合もある、その時に自分と自分との対話の中で、自分をいい心理状態に持ち上げる。落ち込んだままではダメだと。弱気になったら自分でいい状態にもっていく心のコントロール。これは先ほども言ったように自主練習をしなければなかなかできない。普段の生活の中でも自分勝手なわがままではダメだと言っていました。もうひとつは度胸が必要だと、つまり思い切りが必要だと言っていました。それは無茶打ちとは違いますけど。 若い選手が強くなっていくためには、意識の問題が大事だと強調していました。その根底は何かというと、自分は何をどのようにしたら強くなれるのかということを常に考えなければいけない。自分自身で自分の問題点、長所、あるいは改善しなければいけないこと、あるいはどういう新しい技術を身につけたらいいのか。そういういわゆる自分の卓球に対して常に考えて、そして工夫して練習する。こういう意識が必要。これは日本でもよく言われることです。意識が変われば生活の仕方が変わります。そういう習慣が変われば、当然結果も変わってくる。日本の考え方と通じるところがありました。 ■子どもの頃から卓球が大好き ――曹燕華さんとはどのようなお話をしたのでしょうか? 子供たちに何か話をして欲しいとお願いしました。私が世界チャンピオンになれたのは、色んなやり方があるでしょうけど、卓球が好きで好きでしょうがなかった。そしていつかは必ず世界一になるという高い目標を立ててやっていました。だから、みんなが休んでいる時でも私は楽しくてしょうがないからたくさん練習をしました。 また、練習中で大事なことは、同じようなミスをしてはいけない。3本連続して同じようなミスをしていては失格だと。インパクトの角度とか、回転の判断とかを正しくやっていないからミスをするわけで、調整をしなさい。感覚の調整をしなければいけない。そうやって同じミスを防ぐようにと言っていました。 ――色々貴重なお話が出ましたが、付け加えることは? 強調したいのは、40ミリボール対策と11本マッチの考え方です。それをどのようにして練習の中に取り入れていくのかが本当に大切なんです。11本マッチになって、何かを変えなければいけないとはみなさん思ってはいると思うのですが。 ――最後に何かありますか? 今回、ユーレックスさんの企画で実現しましたが、中国に若い選手を連れて行き、すばらしい体験をさせることが大事だと思っています。今後はユーレックスさんで企画をしてくれるのかどうかはわかりませんが、中国側には受け入れ体制があります。世界チャンピオンを8人も発掘された楊先生とタッグを組んで、日本の若い選手の強化に尽力したいと思っています。彼も協力してくれると言っています。 ――日本も中国から学んで、研究し、よりよい方向に進化して欲しいと願っています。 本日は、貴重な話をありがとうございました。 元世界チャンピオンの曹燕華さんと 2004-10-31 00:00:00 RALLY TALK VOL.1 上宮高校卓球部監督 河野正和さん http:///travelbook/item/347.html VOL.1 上宮高校卓球部監督 河野正和さん 全日本ジュニアチーム男子監督の河野正和先生(上宮高校)が昨年の9月末よりイギリスへ1年間の予定(JOCスポーツ指導者海外研修事業)で留学されています。早速現地へ飛んで近況をインタビューしてきました! Q 最初にイギリスの生活について質問します。こちらの生活には少し慣れましたか? 9月の終わり頃こちらにきました。最初はクラブで予約してくれていたホテルに10日間、 その間に不動産屋巡りをして、隣町に気に入ったマンションがあったのでそこを借りました。 クラブはミドルズブラ(イングランド北東部の都市)にありここ(Yarm)から車で20分ほど、ミドルズブラはサッカーのプレミアリーグのチームもありなかなかの都会です。といっても大阪ほどではないですが・・・。   イギリスでのマンション       ドルズブラ卓球クラブ Q クラブについて教えてください クラブの名前は「オルメスビー卓球クラブ・」です。クラブの 会長が元イギリス卓球協会長のアラン・ランソムさん。イングランドでは強豪チームの一つですが、うち(上宮)の方が強いと思います(笑)。 クラブには子供から大人まで約200名が所属しています。そのうち毎日練習する選手コースは男子選手(なぜか1名は13歳の女子)ばかりで、ホープスから U-22歳の選手が12、13名です。私はその選手コースの臨時コーチと言った感じです。日本のJNT監督という肩書きのお陰で、クラブの人たちが期待し ているようです。練習を含め普段の生活など、キャロルというおばさんの主任コーチが主に私の面倒を見てくれています。 Q 普段の生活について教えてください こちらに着てからも日本ジュニアの試合でヨーロッパ各国へ出かけたり、世界ジュニアで南米チリに出かけたりと留守がちで、イギリスにいるような気がしなかったのですが、1月からはやっと落ち着いてここにいる時間が多くなりました。 普段の午前中はスーパーで買い物やハウスワーク、単身赴任の苦労をたっぷりと味わっています。月曜日から木曜日までは夕方5時30分にクラブに行き、集 まってくる子供たちの指導で夜9時まで3時間半びっちりと、金曜日からは日曜の夜まではほとんど遠征です。 こちらではイギリスあちこちで子供たちの交流試合(オープン大会)があり金曜日の午後にクラブの子供たちと親が集まり、自分たちの車数台で遠征先へ向かい ます。この前はイングランドの南部の町まで片道400km位を運転していきました。土日に試合をやって日曜日の夜にまた帰ってくるのです。コーチも大変で すが親も大変、日本にも子供の指導に熱心な親御さんがたくさんおられれますが、こちらも負けず劣らずで本当に頭が下がる思いです。 Q 英語は上達しましたか あかんなあ。でも少しずつですが、初めはキャロルおばさんが何をいっているかぜんぜん分らず先行き暗くなりましたが、ここのひどいなまりに慣れてくるとまぁなんとか相手の言っている事が少しわかるようになりました。時間も出来たのでこれからは英語学校に行く予定です。 子供たちもコーチも親も僕の英語がうまくなるのを期待していますから。まぁ、いまのままでも、文句いわれても分らんからそれはそれで気楽だけど(笑)   Q 教えている子供たちの中に有望な選手はいますか?例えば上宮に連れて帰りたいとか… 素質的には素晴らしいものを持っている子は何人かいます。中でも現在14歳のポールと言う子はイングランド卓球協会の期待の星で、うまく育てることが出来 ればイギリス代表クラスになるかも知れません。でも問題は育て方でしょう、全体的に親が子供たちのご機嫌をとっているような雰囲気もあるので、甘えてし まって途中で挫折する子供が多いとこちらのNTコーチも嘆いていました。上宮につれていって3日もつかどうか・・・(笑)。 こちらの指導も日本と同じで「いかに練習に来させるか」と「子供たちにやる気を出させるか」のようですが、子ども自身がハードな練習をしないで、すぐ遊び の練習になりますね。私自身我慢強くなりました。 ときどきく通じないにもかかわらず指導法を巡って討論することもあります。 3ヶ月経過しましたが、イギリスと日本と現場の違いは感じますか? まだ短い期間なので何ともいえませんが、イギリスも含めヨーロッパはクラブ単位ですよね。小学生から高校、そしてシニアまで同じクラブに所属し続ける為 に、一貫したコーチングができます。子供たちもシニアの良い選手と一緒に練習し、毎日良い刺激がある。本当にやる気になった子にとってはすばらしい環境が あります。 また、クラブに所属する選手もコーチも地域に根ざしているので、クラブについているサポーターの数も多い。だからヨーロッパクラブ選手権の太鼓、ラッパ、大声援など日本では想像のつかない熱狂的な応援もわかる気がします。 その点、日本では小学校、中学校、高校、大学と分断されています。熱狂的なファンもつきにくい。日本のやり方にもメリットはあると思いますが。約9ヶ月の滞在期間に出来るだけクラブや試合会場にいき、多くの事を吸収したいと思います。 卓球情報誌 どうもありがとうございました。これから益々寒くなるので健康には気をつけて 頑張ってください。 2004-10-28 00:00:00