アメリカ、サンタローザ在住 フミ・クリステンセンさんより『世界ベテランストックホルム大会体験記』が届きました!

<参加はキャンセル待ち>

まさか断られるとは思っていなかった。

1年おきに開催されるこのベテラン大会はいつも開催年の年初めか、前年の年末あたりの申し込みで問題も無く予約できたのだが、今回20126月大会は年初めに申し込んだら「3200人の定員に達したため締め切った」という返事が返ってきた。

そんなことを言われてもこちらとしては困るのだ。この大会参加は今や私の恒例となってしまったし、卓球をたしなむ者としてはワルドナーやアペルグレンを生み出したスウェーデンを一度は訪れてみたいと思うのが人情というものではないか。

私が住むアメリカからのこの大会への参加数はいつも少なく、たった1人の追加だし、私は大のスウェーデンファン、と情にも訴えてメールで頼み込んだが、「残念ながらキャンセル待ち」というそっけない返事だ。付き添い役の夫もこれを楽しみにしていたので「何でもっと早く申し込まなかったんだ」と私を攻めるし、おかげで2週間ほどは無念さで食欲がかなり減退した(体重は変わらなかったので気のせいかも知れない)

だけどいつまでもくよくよしていても仕方が無い。

今回はそのためのお金も使わなくて済んだし、次の大会にはもっと早めに申し込むことにしよう。そう思ってやっと気持ちが落ち着いたころ、「参加しても良い」というメールが送られてきた。  そんならもっと早く言ってくれればいいのに――ッと大声で叫んだが遠いスウェーデンまで届くはずも無く、「1週間以内に申し込みが無ければ不参加とみなす」と続いて書かれた文章に気付き、あわてて申し込んだ。やっぱり行きたいなら愚痴を言っている場合ではないのだ。

結果として3500人の参加者だったらしいから私のようなキャンセル待ちの人たちが300人ほどいたということになる。

1970年代の終わりにスウェーデンの町でこじんまりとスタートしたこのベテラン大会は多くの人の要望に押され、ちょうど30年前の1982年に世界ベテラン大会としてデビューしたという説明が今回の案内書に書かれていた。450人の参加者からスタートしたこの大会、2006年のドイツ大会では3650人を記録している。このスウェーデンでは3200人限定という当初の決定は志が小さすぎるような気がするが、我々が計り知れない開催側の事情というものもあるのだろう。


 

<見逃せない開会式>

さて、この大会の一つの見どころは開会式である。私はそのことに気付くのが遅く、どうせスピーチばかりでおもしろくないにちがいないと勝手に決め込み、殆ど無視していたのだが、2008年のブラジル大会には飛行機の都合で間に合ってしまったため初めて参加した。各国の旗と共に地元の子供たちがもたもたと会場を動き回るのを見て「こんなもんか」とやや失望しながら終わるのをまちわびていた。待ちきれずに席を発ち、ホテルからの迎えのバスを探しに行く何人かの人たちを見習って私たちもそろそろ、と腰を上げた時、裏手の方から音楽が聞こえてきた。

どこかの楽団がセレモニーの終わりを告げる音楽を演奏しに来たらしいが、それなら早く済んで欲しい。そう思って音楽の行方を目で追うと、そこからいきなり派手な色合いのものが目に飛び込んできた。1メートルほどの鳥の羽を上にかざした頭、濃い化粧、きらきら光る派手な衣裳で高いハイヒールをはいた女性たちが躍り出てきたのだ。見ていると、つぎから次へと派手衣裳の男女がジュづつながりでびっくり箱からとびだすように小さな入り口からおどりでてくるではないか。見る見るうちに100人ほどのカーニバルダンサーが一通りそろい、まだあっけに取られている我々に彼らは「こっちに来い」と手招きをするので吸い込まれるように飛び出していった。

あの有名なリオのカーニバルに出てくるのと同じダンサーと一緒に踊ることができるなんて生きているうちに経験できるとは思ってもいなかったので我々は年も忘れて大いにはしゃいだ。

そんなわけでブラジルでの試合内容は今では殆ど思い出せないが、この開会式の興奮ははっきりと記憶に残っている。

その2年後の中国での大会も参加したが、飛行機の都合で開会式をみのがしてしまい、後から知り合いに聞くと、かなり印象的で盛り上がったものだったらしい。

したがって今回の大会にはわざわざ開会式にも参加できるように飛行機を確保した。

ワルドナーが挨拶しに駆けつけたりしたらもうけものではないか。

そしてワルドナーはしっかりとそれに答えてくれた。

一通りの挨拶の後、ワルドナーはアペルグレンとのゲームを披露してくれたのである。

我々が座る2階の観覧席だと会場の真ん中に置かれたテーブルでの彼らの試合はよく見えないが、それでも肉眼で見る試合には大いに興奮し、大いに満足した。

 

<試合開始>

いつも通り、月曜日のシングルスは4人グループでの総当りだ。

今回の私の相手はドイツ、フランス、日本で、ドイツ人は以前にも対戦したことがあり、彼女もちゃんと覚えていてくれた。

ここでの上位2人はプレイオフに進み、下位2人はコンソレーションつまり敗者復活戦に進むことになり、私の場合、自慢じゃないが2004年の横浜大会初参加以来プレイオフに進んだことがない。

ところが今回は以前に負けたドイツ人を接戦で負かし、フランス人もフルゲームのジュースの末勝つという番狂わせがおきた。競り合いの試合が終わって傍で観戦していた夫に「負けるかと思った」と言ったら彼はびっくりして「えっ?勝ったの? 居眠りしてて見逃したよ」。 

初めてで、これが最後かも知れないこの勝利戦を見逃すなんてはるばるスウェーデンまで来た甲斐が無いではないか、と言いたかったが、身内であれ、負けてばかりで面白くない試合を見なければならない者の身になればかなりのガマンが必要なのかもしれないからここは何も言わないことにしよう。

 

火曜日はダブルスだ。

私の場合ダブルスのパートナーは毎回主催者側に決めてもらっている。そうすることで、練習は全くできないが、少しの間でも違う国の人と交流できるのが楽しいからだ。今回のパートナーはオーストラリアに住む中国人で彼女の粒高ラバーのおかげでかなりの対戦相手を苦しめることに成功したが、惜しくも3位となり、コンソレーションでの敗者復活コースとなった。負けても復活できるところがこの大会のいいところである。

彼女とは尖閣諸島問題のわだかまりなど微塵も無く民間友好を楽しく結べたのもうれしかった。

 

<中休みは市内観光>

このベテラン大会のスケジュールは世界中どこで開催されてもほぼ同じで、月曜日、火曜日はシングルスとダブルスの予選が行われ、水曜日は休みで木曜日はシングルスの決勝トーナメントとコンソレーションがあり、金曜日はダブルスの決勝トーナメントとコンソレーション。土曜日は準決勝と決勝という段取りになる。

 

休みの水曜日は大抵の人達は近辺の観光にくりだすということになり、我々も楽しみにしていた市内見学に出かけた。

海に面したストックホルムの中心地は美しい町であった。太陽の光を一面に浴びる海辺の町並みに「世界で一番美しい町やね(日本語に変えると大阪弁になる)!」と月並みだが感動の言葉が思わず口をついて出る。


絵本に出てくるようなオールドタウンと呼ばれる古い建物保存区域、それにあわせるようにどっしりと歴史を思わせる市役所、巨大なロイヤルパレス、そして見逃してはならないのがノーベル賞受賞式が行われるノーベル博物館。それらは全て歩いて見物できる距離にあった。その周辺に肩を並べて並ぶ観光用のホテルやレストランやバーやアイスクリームショップは我々を楽しませるのに十分な演出を発揮していた。


海が入り組んだストックホルムには橋がたくさんあり、何気なく端の欄干に目をやると面白い物がたくさん引っかかっていた。それらは鍵であった。よく見るとそれぞれの鍵に文字が書かれている。

スウェーデン語なので読めないが、多分「仕事が見つかりますように」とか「彼女と結婚できますように」とかの願い事であろうと想像する。日本のお寺の祈願の絵馬に代わる用途のようで、成就したらそれぞれの鍵を外しに来るに違いない。願いを何かに託す行為というのはどうやら国を問わないようである。


今回はきつい予算で参加したため、極力出費を抑えるためいつも申し込む主催者側推薦のホテルは避け、ネットで見つけた朝食付で2人で1日4000円未満という格安で個人宅の一部屋を借りることに成功した。

経費を更に抑えるために滞在中の半分くらいは近くのマーケットでソーセージやサラダなどを購入し、滞在先のキッチンで料理して食べたが、それはこの国の食事情を伺いし知るのにも少しは役立ったような気がする。

食料の値段はおおむねアメリカの物価と同じ価格であり、パン類はアメリカよりかなり味が良かった。ただしパンの味では大抵の国がアメリカに勝ることも書き加えなければならない。

ところで観光中に尿意をもよおし、うまい具合にホテルが目に入ったので飛び込んでトイレを探し当てたが10クローネと有料だったので、もう少しガマンして違うホテルに行くとそこもやはり10クローネであった。たかが100円ほどとはいえ、経費節約中の我々は更にガマンを重ね、帰りの電車の駅構内の公衆トイレを探し当てたが、なんとそこも10クローネであった。そこですでに限界に達していた私は支払いももどかしく駆け込んだ。


滞在した家のホストの話によるとスウェーデンでは医療はもちろん教育費は全て無料になっているらしい。大学の医学部まで無料と聞くとアメリカや日本で苦労して高い学費を捻出する人にはなんともうらやましい話だが、そのかわり税金ももちろん高いということになる。日本やアメリカと比べてどちらが良いか一概に言えないが、人間の生活に重要な医療、教育、福祉がそこまで完備していれば、街のトイレが有料でも誰も文句言わないことは確かである。

ついでながらスーパーマーケットで購入物を入れるビニールバッグもどこも有料で1~2クローネであったので購入したバッグは持ち歩いて何度も使用することにした。

さすがに試合会場のトイレは無料であったが、一つ困ったことがあった。

トイレのドアに付いたサインがいったい女性用なのか男性用なのかすぐにはわからなかったのである。2種類のサインのドアを何度か往復し、比べてやっと判断したのだが、男性用のパンツ姿に短いスカートに見えるジャケットが描かれていたために混乱を招いたようだ。

 

スウェーデンの冬は厳しく、トイレのサインにも長めのジャケットが要るのだろう。だけど他に混乱していそうな人は見られなかったのでひょっとすると混乱したのは我々だけだったのかもしれない。

 

<再び試合と小波乱>

木曜日のシングルスプレイオフは勝ち抜き戦で1時半からだったが、試合予定の場所を確認するため1時間ほど前から他の試合を見ながら待機することにした。相手は日本人である。

相手も私と同じく他の試合を見て時間をつぶしていたので台が空くと直ちに練習に入った。プレイオフともなれば審判もつけてくれるのでたいしたものだ。いつも早くに負けてばかりいたのでこんなことも初めての経験だ。

試合を始める前、お互いのラケットをチェックした時、相手が私のラケットを見て驚いた。

ラバーをしばらく替えていないため端の方が台にあたって磨り減ってきているのだが、その磨り減り方が激しいというのだ。彼女は審判にこれは問題ないのかどうか、尋ねると、ラバーの磨り減り方については全く知らない審判は「わからないけど、いいんじゃないかな」と頼りない判断を下したが、念のためにとそこら中の知っていそうな審判仲間に聞きにまわり、誰もわからなかったので本部のようなところに尋ねにいく羽目になった。そして結局このラケットは使用できない、と判断されたのである。

さあ困ったのは私だ。これが使えなかったら試合ができないではないか。

試合では何が起きるかわからないからラケットは必ずエキストラに持っていけと言ったコーチの顔が浮かぶが、だからラケットだけは殆ど移植用の心臓を運ぶように大事にバッグに納めて持参したのだが、それだけ大事に運んできたラケットのラバーをろくに交換もせず、下のスポンジも1cmほど露出し、板の部分も露出と磨耗で内容物が飛び出すほど手入れを怠っていたのではラケット虐待の罪に問われても仕方あるまい。

そんなことを考える暇も有らばこそ、試合開始まで5分しかない私は急ぎラバーを買いに走ったが、走りながら、ラバーを張り替えて使用できるまでに5分でできるはずがないことに気付く。

再び試合現場に取って返し、私は最後の手段に出た。審判に賄賂!などという汚い手は使わない。そこらで試合の順番を待つ人に手当たり次第ラケットを貸して欲しいと頼みまわったのだ。居合わせた親切なハンガリーの女性が見かねてラケットを貸してくれたおかげでやっと試合を開始させることができた。

試合前の波乱のわりにはあっけない敗北であったが、初めてのプレイオフに棄権することなく参加することができたことにここは満足したい。

 

<文化の違い>

この波乱のしばらく後、私の夫が同じ試合会場で面白いシーンを目撃した。

中国人女性選手がやはりラケットの何らかの違反で試合できなかったのだが、違反ラケットの使用を拒否する審判への彼女の反抗の仕方というのがすさまじかったらしい。違反とされたラケットを審判が取り上げたかたちになり上に持ち上げ、彼女はそれを取り戻そうと必死に手を伸ばし、激しくわめき始めたため駆けつけた彼女のコーチのような女性が彼女を床に押し倒し、馬乗りになって彼女を押さえ、やっと静めたのだ。もちろん試合はでできなかったようであるが、多くの人が見守る前でそのようなシーンを披露することをはばからない中国人はたくましいとつくづく感心した。

そういえば2年前の中国でのベテラン大会で、帰国途上に北京空港で強いスモッグ発生のため飛行機の出発が大幅に遅れた時の事。
航空会社提供の無料飲料水を飲んでおとなしく待つ我々の耳に激しい女性の金切り声が聞こえてきた。その声の出所を追うと、10メートルほど離れたところで、ブランド(またはブランド風)のドレスに身を包んだ40歳前後の女性がカウンター超しに係員に激しく抗議していているのが見えた。右手に抱えたルイビトン(多分)のバッグを大きくふるわせながら、おとなしい係員に今にも噛みつかんばかりに高いトーンでけたたましく言葉をたたきつけていた。30分ほど続いた彼女の抗議によって出発を早めたということはついに無かったが、何事も簡単にあきらめたりしない中国人の気質に触れたような気がした。

 

違反でも何でも無いが、絶対とは言わないにしてもめったに他では見られない光景もあった。 

年を重ねると試合の汗で湿ったユニフォームはできるだけ早く着替えないと風をひきやすいが、それを多くの人たちが見る試合場の卓球台のすぐ近くで行っている女性がいたのだ。彼女はドイツの旗のついたユニフォームをスパッと脱ぎ捨て、白いブラジャーをいきなり人目にさらし、特に急ぐわけでもない風に替えのシャツをまとった。その間ほんの3秒ほどではあったが、それを近くでまともに目撃した私は驚きと恥ずかしさのあまり思わず回りを見渡すと同じように目撃したアジア系男性と目が合ってしまい、彼の「ワォー」という感嘆詞に同意する格好になったと思う。

ここまではOK,この線以降は恥ずかしい、という線を我々は常に無意識にわきまえているが、それは文化や地域や時期によって多少ずれるもののようだ。例えばアメリカのある地域ではヌードになってもとがめられないビーチがあるし、太陽に当たる期間がやや少ないドイツで晴れた日に公園でブラジャーを外して日光浴をする光景をニュースで見たこともある。彼女の場合もどちらかというと何のためらいも無くユニフォームを脱いだという風情で、こんなことは恥ずかしいうちには入らないという様子だった。

中国人の場合もドイツ人の場合も日本人の気質にはあまり沿わないのは間違いないが、こんな場面を目撃できるのも世界ベテランズ大会の特権であろう。

 

なにせ世界大会であるからしてルールは厳守であるし、どの選手も真剣勝負を繰り広げるが、あくまでシニア限定大会なので殆どの人が旅行をかねてののんびりした雰囲気が全体に漂う。

地元メディアもカメラを持って駆けつけるが、彼らの注目を集めるのはもっぱら90歳代の選手たちの打つボールのゆくえである。

試合のつど渡される参加者確認用紙の字が老眼で読めなくても大抵の選手は電話より老眼鏡を携帯しているので聞けば気軽に貸してくれる。日本語以外はほぼ英語でまかなえるので「クデゥアイボローユアリーディンググラスィズ?」(Could I borrow your reading glasses?)をそのときのために憶えておくと便利だ。

 

<ワルドナーと記念写真>

あれは確か木曜日だったと思う。

午前11時頃に、お昼の12時から1時間ワルドナーのサイン会が行われるので希望者はDONIC(ワルドナーが契約する卓球ブランド)まで来てください、という場内アナウンスがあった。12時に飛んでいくと、すでに20人ほどの人たちが順番を待っており、列に並ぼうかどうしようか、迷っているうちにその数はますます増えていったのであわてて列に加わった。

私の前で順番を待つ人たちの数がなかなか減らないので様子をうかがうと、一人づつワルドナーと一緒の写真をとっている。なかなか順番がまわってこないはずだ。待ってる身にもなってよね。まッたく。私の後ろで待つ人に申し訳ないと思いながら私も写真を取らせてもらったのは言うまでもない。

第一日目の月曜日に偶然アペルグレンと試合会場で見つけたので機会を逃さず一緒に記念写真を撮らせてもらったのもあるからこれでスウェーデンまで来た甲斐が十分あったというものだ。


 

<準決勝と決勝>

金曜日のダブルスコンソレーションも滞りなく終わり、最終日の土曜日はいつもどおりシングルスとダブルスの準決勝及び決勝が行われた。

これに参加できるほど勝ち残ったことはもちろんないが、毎回欠かさず観戦している。

私がこの大会に始めて参加した8年前には年齢別の40歳代で優勝したアペルグレンはほぼ毎回夫婦で参加しておりこの大会の「顔」というべき選手だ。当大会では最年少の40歳代ともなると以前ナショナルチームの選手だったという人達も参加しており、しかも準決勝あたりとなると世界選手権と比べても遜色ないほどだ。確かその次のドイツ大会で彼は準決勝でイギリス人に負けたと記憶しているが、今回は50歳代で以前中国のナショナルチーム選手だったというオーストラリア在住中国選手を接戦の末負かし、優勝を決めた。

40歳代ではベルギーナショナルチームで活躍したフィリップサイブが優勝した。

 

<大会の「顔」>

アペルグレンをこの大会の「顔」と書いたが、実は「顔」は彼一人だけではない。


世界大会6回の出場を果たし、1960年の日本選手権で三冠王となった伊藤和子さんは当大会の常連でもあり何度も優勝しておられる。今回はお見かけしなかったが日本ではまだ現役でコーチとしても忙しい毎日を送っておられるとのことだ。

もう一人の「顔」江口富士枝さんは卓球雑誌などで50年代の黄金時代に国内外でのチャンピオンの座を長く持ち続けられた驚異の選手として卓球誌でもよく紹介され、写真も頻繁写真も掲載されていたので顔は存じ上げていた。

ベテラン大会で彼女らしき人を見かけ、いろんなお話をお聞きしたいと思っていたが、そんな伝説の主に声をかけるなんて大それたこと、と長く遠慮していたと思う。そして2年後のある日勇気を出して「ひょっとして江口富士枝さんですか?」とおずおずと話しかけたら「そうです」とやさしく微笑みかけてくれ、おまけに当時のいろんな思い出話なども話してくれた。彼女は大変気さくな伝説の人であったのだ。

確かブラジルのベテラン大会だったと思うが、練習相手を探していたらそこに居合わせた江口さんが気軽に練習相手を引き受けてくださったことがあった。ベテラン大会ではこんなうれしいハプニングさえ起きるのだ。

あとで江口さんの戦果をネットで拝見すると彼女は世界大会でシングルス、混合ダブルス、チームの優勝を55年前の1957年に制覇しておられるが、それはなんとここストックホルムでの出来事だったのだ。きっといろんなことを思い出しておられたに違いない。次にお会いした時に是非話をお聞きしたいと思う。

 

<終わりの時>

全ての予定が終了し、宿泊先に戻る前に少し時間があったのでもう一度ダウンタウンを訪れることにした。何軒かある旅行者用みやげ物店では多くの大会参加者が最後の買い物を楽しんでいる。話しかけたことはないが見た顔、というのもいるし、参加者とすぐわかる服装の人もいるので不思議に特別な親しみを覚えた。試合の1週間が終わり、それぞれの国に帰っていく時、やれやれという気持ちと、楽しいひと時の終わりがついにやってきたという寂しい気持ちとが入り混じり、やや感傷的になった。


2年後の参加を固く誓うのはこんな時である。

投稿者紹介:
〜 フミ・クリステンセン 〜
アメリカ・カリフォルニア州のサンタローザ在住。
アメリカに渡り早ウン十年、卓球を始めるやいなやその面白さに取り憑かれ、「卓球やりながらポックリ死ねたら幸せやわ〜」なんて言っている根っからのピンキチ。
デンマーク系アメリカ人のご主人は卓球の経験がまったくないが、2年に一度の世界ベテラン大会の魅力に取り憑かれている1人。
卓球と出合い、2年に一度の世界ベテラン大会が、夫婦にとって一番の楽しみ!





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