Vol.5 ベルギー 末次さん


ピンポン
77年田川が現在の店舗に移転することになり新店舗のオープニングに合わせて赴任致しましたのでベルギーに住んで18年ということになります。この間色々なことがございました。その中の一つに自分自身の青春(卓球)との再会があります。私の学生時代は卓球で明け暮れておりました。板前という仕事に就いてからは何時しか忘れて時折思い出す程度の事でしたが、偶然にも卓球と再会し、プレーは殆ど致しておりませんが、(ゴルフばかりでとても昔のようには体がついていかないというのが本音ですが)今も卓球と関わりをもっている中から稚拙な文で はございますが書いてみようと存じます。
 
卓球と私
私と卓球との出会いは小学校5年生の時に公会堂で見た世界選手権の記録映画でした。日本が7種目中5種目で優勝という輝かしいもので子供心に興奮し、帰宅 してすぐ母にラケットを買って欲しいとせがんだのを朧気ながら覚えております。しかし長崎での出来事がなければきっと途中でラケットは棚の奥で眠っていた 事と思います。

卓球との再会

1986年3月リエージュで行われたベルギーオープン参加の為、男女高校生から社会人までの混成チームが来白し、日本人会主催の歓迎会が田川で開かれました。その 時の総監督が学生の頃私の最も憧れた専修大学キャプテン根性野平と異名を持った野平孝雄氏で、当時の思い出に話が弾み滞白中の数日間お世話をさせていただきました。

この時がきっかけで高校卒業と同時に調理の世界に入り途切れていた私と卓球との関わりが違う形で20数年ぶりに再会致しました。毎日差し入れしたおにぎりやカレーライスが少しは効果があったのかこのベルギーオープンでは8年ぶりの好成績をあげました。

その後年に何組か卓球関係の方が来白される際に行き届かないながらお世話をさせて頂いておりました。来白された折お世話をさせて頂いた野平氏始め数人の委員の方々が92年秋の理事総会に海外居住者では2人目の国際交流委員にと私を推薦してくださったようです。野平氏より「末次君こういうことになってしまっ たからよろしく」と国際電話があり事後承諾の形でしたが卓球とは少し深く関わることになりました。

以後、高校生チームを中心に多くのチームがこのブリュッセルで数日の時差調整と最後の練習をこなしてから試合のある場所に移動するのが慣例化してまいりました。若い力特 に高校生チームのお世話は楽しんでさせていただいております。今日本のレベルは世界でベスト8に入りますが、連戦連勝を重ねていた60年後の実績からする と長い低迷を続けています。1~2年の単位では世界のベスト3のレベルに戻すのは無理なように思えます。此処数年協会の世界レベルの試合での選手選考の考え方は、日本のトップレベルの選手は個人戦にエントリーさせ団体戦は高校生も含むこれからの選手をも選んでいます。お世話させて頂いた若いメンバーが活躍してくれると本当に嬉しくなります。この嬉しさは協会その他の関係者の方々からの私のベルギーでの活動に対する唯一のプレゼントで、この楽しみがあるから こそ続けられるのだと思っています。

若手といえば昨年9月シャルルロワ市で行われた第10回世界学生選手権で男子団体優勝を始め7種目中3種目で3位以上の入賞を果たしました。世界と冠のある大会では久しぶりの優勝でしたので朝日新聞紙上にもニュースとして扱われましたのでご記憶の方もあるかと思います。

最近の試合ぶりを見ていると若い選手が大きな試合にも臆することもなく普段の実力以上のプレーをし周囲を驚かせることもしばしばあります。例えば世界ラン キング1位の選手と3回対戦し3回共勝っている選手もおります。この選手は勝った3試合がポイントとなり世界ランキング23位と日本選手としては上位にラ ンクされています。もしかすると期待できるようになったのは最近の明るい材料と言えます。

欧州卓球事情
卓球はアジア、中国が群を抜いて世界に君臨していると思っている方が多くおいでのことと思います。ところが80年前後から本場欧州勢が頑張っています。今や 中国ですら世界のベスト3に入るのは大変です。特にスウェーデン、フランス、ドイツそしてベルギーがアジア勢の前に大きく立ちはだかっています。層の厚さ ではスウェーデン、安定度ではフランス、この両国をドイツとベルギーが追う形です。しかし個人戦となるとリエージュ出身でシャルルロワ市のクラブチームに 所属するベルギー人「ジャンミ」ことジャン・ミッシェル・セイブがここ2年以上も世界ランク上位を保っています。また、弟のフィリップ・セイブも上位を 保っており、他にも数人が上位にランクされており個人戦では世界のトップレベルと言えます。(団体戦になぜ弱いのかが不思議です。)欧州勢の現在の活躍は30年前にある日本人が植えた苗が大きく育った結果と欧州の卓球関係者の多くが認めるところです。

昨年63歳で惜しまれながら故人となられた前国際卓球連盟会長でオリンピック評議会のメンバーも勤めておられた荻村伊智朗氏がその人です。氏は選手とし ての現役を退かれた後スウェーデンに渡り3年近く文字通り手弁当無報酬で大小を問わず国中のクラブで攻撃型近代卓球を説き、また指導にあたられました。氏 は「日本、中国、韓国、台湾と力を伸ばし卓球はアジアのものと思われていたが、本場欧州が強くなくてはいずれのスポーツも衰退してしまう。本場に乗り込ん で教えるなど傲慢と言われても新しい卓球を欧州に植えつける必要があると思った」とグランプラスのカフェで好物のワインを飲みながら私にも話してください ました。今でもスウェーデンではどのクラブにも必ず氏の写真飾られ敬愛されています。「この国では日本人で一番知名度があるのはオギムラだ」とヨーテボリ で開かれた世界選手権の折、会場前から載ったタクシーの運転手に言われた時に感激したのを思い出します。北国スウェーデンで目が出てやがて育った新しい卓 球が他の欧州の国々にも広まり現在に至っているのだと思います。

氏は「ピンポン外交」という言葉が今も残る程各国の交流に尽くされ、韓国の南北統一チームを他のスポーツに先んじて実現されたり、昨年東京で行われた地球 ユース大会ではパレスチナとイスラエルの選手が一緒に選手宣誓をするなど、スポーツを通して少しでも世界平和に貢献する事もスポーツマンの義務の一つであ ると強く考えられておられ、韓国の南北統一チーム実現には既に自覚症状のあった癌と戦いながら十数度も三国間を往復されました。癌に倒れ病の床に伏してか らも何とか次の世界選手権はサラエボで開催したいと思案しておられたとのことです。

氏のこうした活動にスタンドプレーという批判もありましたが、オリンピック委員会会長のサマランチ氏をして「私は今月、私の片腕であり友であり、スポーツを以て世界平和実現の為に戦う戦友を失った」と言わしめました。
 
日本卓球界は
世界のスポーツ界の趣勢はご存知のようにプロ化へと進んでおります。クラブチーム主体の欧州では卓球も例外ではなく、年間1億円以上の収入を得る選手も何人 かおります。ドイツやフランスではプロのツアーもあると聞きます。多くの選手は充分とは言えないまでも生活が保証され練習や試合に打ち込める環境がありま す。学校や企業が主体の日本では学業や仕事との両立に多かれ少なかれ殆どの選手や役員が悩んでおります。現在の日本のスポーツ界はその学校や企業の後援が なくては活動していけないことも事実です。こうした環境の差が現在の日本と諸国との差と言える部分も少なからずあるように思われます。

徐々にではありますが、日本でもクラブチームができ始めたり、プロ宣言する選手が出てきたり変化が現れてきています。また、現在協会では諸国の選手と会話 が通じるように選手に対する英語教育等も考えているようです。遅まきながら、世界に通用する選手は国際人としても通用しなければならないということでしょ うか。

最後に
恵まれた環境にあると書きましたが、又多くの例外もあります。戦火の残る国々の選手達です。ボスニア、クロアチア、セルビヤやアフリカ、アラブの国々にも多 くの選手がおりますが、練習はおろか、殆どのクラブは解散状態で外国に逃れて暮らす選手達も多くいます。ベルギーのクラブチームに身を寄せているボスニアのある選手は「自分達の家族が国外に避難する時に手助けしてくれたクラブの仲間が別れて数日後に戦火に巻き込まれて死んだ」と涙を流しながら言いました。

私の母は広島で被爆しており何度かその悲惨な体験を聞いております。母の被爆は幸いにも軽かったのですが、そのことにより原因不明の高熱が数日続き心配することもしばしばありました。その当時、私は50年も前の戦争が母の身体の中では未だ終わっていないのだと実感させられました。早く全ての戦火が収まり多くの国々の選手が弾丸の撃ち合いではなく、汗を飛ばし白球を打ち合う平和な大会が見たいものと願って止みません。その時に日本とベルギーの優勝争いであれば(ベルギーを第2の故郷と思っている私はどちらを応援しようか迷うでしょうが)これに勝る喜びはありません。少し時間のかかる夢かもしれませんが、実現に希望を抱いている今日この頃です。そして、これからも微力ながら来欧される選手達が少しでも気持ちよくプレーできるようお手伝いをさせて頂こうと思って おります。





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